留萌本線の留萌~増毛間廃止から1年
その他あれこれ - 2017年12月06日 (水)
2016年12月4日は留萌本線の留萌~増毛間の営業最終日でした。廃止から1年を経過したわけですが、改めて写真を交えて紹介していきたいと思います。
留萌本線の歴史は古く、明治43年(1910年)に深川駅~留萠駅(現在の留萌)間が開通し、大正10年(1921年)からさらに日本海に沿って留萠駅から増毛駅へ伸びました。開業当初から空知炭田の石炭や木材、海産物などの輸送を担い、留萌港から各地へと出荷されていました。
昭和中期ごろまで留萌や増毛ではニシン漁が栄え、町は活況に呈していました。戦後もニシン漁が少なくなったとはいえ、石炭やセメント、木材といった貨物輸送が活発であり、急行「るもい」などの優等列車も設定され、本線としての役割を担っていたことでしょう。
しかし、石炭産業の衰退に伴う沿線の過疎化や国道231号線(通称:オロロンライン)や深川留萌道などの高規格幹線道路の進出によるモータリゼーションの発達や高速バスによって利用が激減していき、国鉄分割民営化前に急行列車は廃止され、貨物列車も1999年までに乗り入れを終了しています。
その後も利用者は年々減少していきます。留萌~増毛間においては、JR北海道が発足した1987年は1日あたり435人の利用がありましたが、2014年には1日39人の利用まで急激に落ち込んでいました。年間の収入が700万円に対し、1億6,000の万円の赤字が出ていました。
ついに、2015年6月27日に一部の沿線自治体に対し、廃止の検討を打診しました。秩父別町と増毛町は廃止を容認していましたが、最後まで沼田町は存続を求めていましたね。
ちなみに、過去にJR北海道が発表した線区別の収支状況についても、留萌~増毛間は全道ワースト1位を記録しており、平成26年度における営業係数(100円の営業収益を得るのにかかる費用を示す)は4,554円となっていました。そこから、廃止となることが伝えられ、年度別ではありませんが、2015年は2,538円、2016年は715円と年々営業係数を減らしていきました。
2016年は12月上旬の廃止ということで1カ月弱にわたって営業ができない状況でしたが、それでも年間あたり約2,000円ずつ営業係数を減らしていったことになります。ファンの力は凄まじいことが伝わってきます。
鉄道雑誌にも取り上げられ、最後が迫るにつれて各メディアからも報道されました。あれだけファンを中心に最後の利用があったにも関わらず、最終的な営業係数が715円と、それでも営業係数が100円を下回るにはほど遠い数値でした。
これは、11月にJR北海道からプレスリリースで発表されています。ファンの凄さが伝わった反面、北海道のローカル線を存続していく厳しさが改めて身に染みた次第でした。
加えて、廃止に追い打ちをかける出来事として、2005年と2011年の冬期に箸別~増毛間で雪崩による脱線事故が発生してしまいます。以来、2013年や2014年は雪崩の危険性があると判断し、雪害の影響によって運休を余儀なくされました。冬期のみならず、雨でも土砂崩れが発生する危険性もあったため、大雨が襲った際は冬期同様に終日運休を余儀なくされたときもありました。このように、公共交通として全く機能することができない時期もありました。
これを減速運転などで長らく対応してきましたが、雪崩や土砂崩れ対策として安全を確保する場合、防災工事費を投入しなければならず、仮に雪崩や土砂崩れ対策を実施するにしても工費は数十億程度が予想され、昨今のJR北海道の経営状況を踏まえると、とてもその費用を負担できる体力はありませんでした。
当初は沿線自治体は廃止について、JRとの折り合いがつかず、平行線をたどったままでしたが、JRから廃止に基づく支援内容が上乗せされたことにより、廃止に同意した形となりました。
路線廃止に伴うJRからの支援は大きく分けて4つありました。
・路線バスが走行していない時間帯(早朝・夜間)の代替交通の運行経費10年分として5,000万円を支援
・増毛駅周辺の整備費用の一部として1億3,000万円を支援
・増毛駅舎やホームなどの鉄道施設駅周辺の鉄道用地の無償譲渡
・通勤定期利用者は1年間、通学定期利用者は在学期間中、バス定期運賃との差額を補償
これらの支援策と引き換えに、留萌本線の留萌~増毛間(16.2km)は廃止されました。
4項目目については、既に支援を終了した該当者も出ているのではないでしょうか。
最後に、最終期の様子を写真を交えてお伝えします。


ほとんどの列車が深川駅発着だったのに対し、下り1本だけ旭川駅発の列車がありました。旭川駅で「増毛」と表示するのは15時台の1本だけで、「旭川⇔増毛」のサボも1日で1本の列車しか使用されませんでした。
あれから1年。時間の流れの早さを実感します。

旭川駅発の列車も含め、留萌本線はキハ54形500番台が主に使用されていました。今年はキハ150形気動車がその代わりとして乗り入れたり、稀に富良野線用のキハ150形が乗り入れることもあるようです。


旭川~増毛間を結ぶ臨時列車です。設定当初は2両編成でしたが、後に利用増を見込んで3両編成としています。管理者は記録していませんが、留萌本線にキハ40形気動車が入線する貴重な記録が最終期に見れましたね。




そして、留萌~増毛間の営業最終日に深川駅で撮影した写真も掲載します。
写真は旭川~増毛間に設定された臨時快速列車です。利用増を見越し、設定途中から3両編成へ増結されています。その中でも特に注目だったのが「キハ40-1758」です。釧路運輸車両所(釧クシ)所属の車両で本来であれば、旭川地区で運用されることはないです。2010年4月に国鉄色(朱色5号)に復元された車両です。
おそらく、留萌本線のラストに合わせて釧網本線や石北本線を経由して応援に駆けつけた車両であり、ファンには最後で最高のプレゼントになったことでしょう。


そして、旭川駅へ戻ってきた際の様子です。最終日ということもあり、同駅には定刻15時46分の到着ですが、混雑の影響で47分ほど遅れて同駅7番線に到着しました。
最終列車ではありませんが、昨年12月4日の営業をもって留萌~増毛間は廃止となりました。
あれから1年、結局沿線の様子を確認に行けず仕舞いですが、廃線となって沿線はどう変化したのか気になります。鉄道路線がなくなったからとはいえ、全てが終わりではありません。
増毛町は、鉄道用地の無償譲渡や1億3,000万円の支援で駅周辺を観光地として整備していたと思いますが、果たしてその方法が持続可能であり、且つ地域振興策として機能するのでしょうか。
一番重要となっていくのが持続可能なものにしていくことです。これができなければ、結局はそのプランや方向性はなくなり、新たなプランや方向性をつくり出し、効果がなくなったら次々に切り捨てていく・・・。この繰り返しではダメです。
過疎化地域においては、観光客を呼び込む地域振興策は重要と考えますが、持続可能なものにすること、あるいはリピーターがいないと長続きせず、結局は無駄になってしまいます。以前コラム記事を掲載しましたが、人口を増加させることが難しいながらも一番の近道であると考えています。要は、人口が減少して過疎化が進むということは、若者が少なくなり、地域の活気が失われるということです。
やはり、若者をいかにして留萌本線の沿線に住んでもらえるか、あるいは移住してもらえるかを真剣に考えなければ、増毛町も留萌市もその周辺の自治体も間違いなく消滅するでしょう。「週間ダイヤモンド 2017年3月25日号」からは、2050年までに現在よりも58.2%沿線人口が減るという試算を出しています。ちなみに、全国のローカル線で留萌本線がワースト1位です。
試算ではありますが、将来的に人口が減少して自治体を存続していけるのか危機的状況になることは言うまでもありません。周辺市町村との合併の可能性はあるにしても、早急に人口を増やす方法を模索しなければ本当に自治体そのものが危ないでしょう。
増毛町は残念ながら今までは通過点でしかなく、じっくりと町内を散策したことがありません。時間があればそのような機会をつくり、ブログを通じてお伝えしたいと考えています。
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留萌本線の歴史は古く、明治43年(1910年)に深川駅~留萠駅(現在の留萌)間が開通し、大正10年(1921年)からさらに日本海に沿って留萠駅から増毛駅へ伸びました。開業当初から空知炭田の石炭や木材、海産物などの輸送を担い、留萌港から各地へと出荷されていました。
昭和中期ごろまで留萌や増毛ではニシン漁が栄え、町は活況に呈していました。戦後もニシン漁が少なくなったとはいえ、石炭やセメント、木材といった貨物輸送が活発であり、急行「るもい」などの優等列車も設定され、本線としての役割を担っていたことでしょう。
しかし、石炭産業の衰退に伴う沿線の過疎化や国道231号線(通称:オロロンライン)や深川留萌道などの高規格幹線道路の進出によるモータリゼーションの発達や高速バスによって利用が激減していき、国鉄分割民営化前に急行列車は廃止され、貨物列車も1999年までに乗り入れを終了しています。
その後も利用者は年々減少していきます。留萌~増毛間においては、JR北海道が発足した1987年は1日あたり435人の利用がありましたが、2014年には1日39人の利用まで急激に落ち込んでいました。年間の収入が700万円に対し、1億6,000の万円の赤字が出ていました。
ついに、2015年6月27日に一部の沿線自治体に対し、廃止の検討を打診しました。秩父別町と増毛町は廃止を容認していましたが、最後まで沼田町は存続を求めていましたね。
ちなみに、過去にJR北海道が発表した線区別の収支状況についても、留萌~増毛間は全道ワースト1位を記録しており、平成26年度における営業係数(100円の営業収益を得るのにかかる費用を示す)は4,554円となっていました。そこから、廃止となることが伝えられ、年度別ではありませんが、2015年は2,538円、2016年は715円と年々営業係数を減らしていきました。
2016年は12月上旬の廃止ということで1カ月弱にわたって営業ができない状況でしたが、それでも年間あたり約2,000円ずつ営業係数を減らしていったことになります。ファンの力は凄まじいことが伝わってきます。
鉄道雑誌にも取り上げられ、最後が迫るにつれて各メディアからも報道されました。あれだけファンを中心に最後の利用があったにも関わらず、最終的な営業係数が715円と、それでも営業係数が100円を下回るにはほど遠い数値でした。
これは、11月にJR北海道からプレスリリースで発表されています。ファンの凄さが伝わった反面、北海道のローカル線を存続していく厳しさが改めて身に染みた次第でした。
加えて、廃止に追い打ちをかける出来事として、2005年と2011年の冬期に箸別~増毛間で雪崩による脱線事故が発生してしまいます。以来、2013年や2014年は雪崩の危険性があると判断し、雪害の影響によって運休を余儀なくされました。冬期のみならず、雨でも土砂崩れが発生する危険性もあったため、大雨が襲った際は冬期同様に終日運休を余儀なくされたときもありました。このように、公共交通として全く機能することができない時期もありました。
これを減速運転などで長らく対応してきましたが、雪崩や土砂崩れ対策として安全を確保する場合、防災工事費を投入しなければならず、仮に雪崩や土砂崩れ対策を実施するにしても工費は数十億程度が予想され、昨今のJR北海道の経営状況を踏まえると、とてもその費用を負担できる体力はありませんでした。
当初は沿線自治体は廃止について、JRとの折り合いがつかず、平行線をたどったままでしたが、JRから廃止に基づく支援内容が上乗せされたことにより、廃止に同意した形となりました。
路線廃止に伴うJRからの支援は大きく分けて4つありました。
・路線バスが走行していない時間帯(早朝・夜間)の代替交通の運行経費10年分として5,000万円を支援
・増毛駅周辺の整備費用の一部として1億3,000万円を支援
・増毛駅舎やホームなどの鉄道施設駅周辺の鉄道用地の無償譲渡
・通勤定期利用者は1年間、通学定期利用者は在学期間中、バス定期運賃との差額を補償
これらの支援策と引き換えに、留萌本線の留萌~増毛間(16.2km)は廃止されました。
4項目目については、既に支援を終了した該当者も出ているのではないでしょうか。
最後に、最終期の様子を写真を交えてお伝えします。


ほとんどの列車が深川駅発着だったのに対し、下り1本だけ旭川駅発の列車がありました。旭川駅で「増毛」と表示するのは15時台の1本だけで、「旭川⇔増毛」のサボも1日で1本の列車しか使用されませんでした。
あれから1年。時間の流れの早さを実感します。

旭川駅発の列車も含め、留萌本線はキハ54形500番台が主に使用されていました。今年はキハ150形気動車がその代わりとして乗り入れたり、稀に富良野線用のキハ150形が乗り入れることもあるようです。


旭川~増毛間を結ぶ臨時列車です。設定当初は2両編成でしたが、後に利用増を見込んで3両編成としています。管理者は記録していませんが、留萌本線にキハ40形気動車が入線する貴重な記録が最終期に見れましたね。




そして、留萌~増毛間の営業最終日に深川駅で撮影した写真も掲載します。
写真は旭川~増毛間に設定された臨時快速列車です。利用増を見越し、設定途中から3両編成へ増結されています。その中でも特に注目だったのが「キハ40-1758」です。釧路運輸車両所(釧クシ)所属の車両で本来であれば、旭川地区で運用されることはないです。2010年4月に国鉄色(朱色5号)に復元された車両です。
おそらく、留萌本線のラストに合わせて釧網本線や石北本線を経由して応援に駆けつけた車両であり、ファンには最後で最高のプレゼントになったことでしょう。


そして、旭川駅へ戻ってきた際の様子です。最終日ということもあり、同駅には定刻15時46分の到着ですが、混雑の影響で47分ほど遅れて同駅7番線に到着しました。
最終列車ではありませんが、昨年12月4日の営業をもって留萌~増毛間は廃止となりました。
あれから1年、結局沿線の様子を確認に行けず仕舞いですが、廃線となって沿線はどう変化したのか気になります。鉄道路線がなくなったからとはいえ、全てが終わりではありません。
増毛町は、鉄道用地の無償譲渡や1億3,000万円の支援で駅周辺を観光地として整備していたと思いますが、果たしてその方法が持続可能であり、且つ地域振興策として機能するのでしょうか。
一番重要となっていくのが持続可能なものにしていくことです。これができなければ、結局はそのプランや方向性はなくなり、新たなプランや方向性をつくり出し、効果がなくなったら次々に切り捨てていく・・・。この繰り返しではダメです。
過疎化地域においては、観光客を呼び込む地域振興策は重要と考えますが、持続可能なものにすること、あるいはリピーターがいないと長続きせず、結局は無駄になってしまいます。以前コラム記事を掲載しましたが、人口を増加させることが難しいながらも一番の近道であると考えています。要は、人口が減少して過疎化が進むということは、若者が少なくなり、地域の活気が失われるということです。
やはり、若者をいかにして留萌本線の沿線に住んでもらえるか、あるいは移住してもらえるかを真剣に考えなければ、増毛町も留萌市もその周辺の自治体も間違いなく消滅するでしょう。「週間ダイヤモンド 2017年3月25日号」からは、2050年までに現在よりも58.2%沿線人口が減るという試算を出しています。ちなみに、全国のローカル線で留萌本線がワースト1位です。
試算ではありますが、将来的に人口が減少して自治体を存続していけるのか危機的状況になることは言うまでもありません。周辺市町村との合併の可能性はあるにしても、早急に人口を増やす方法を模索しなければ本当に自治体そのものが危ないでしょう。
増毛町は残念ながら今までは通過点でしかなく、じっくりと町内を散策したことがありません。時間があればそのような機会をつくり、ブログを通じてお伝えしたいと考えています。
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