小樽へ向かうFriendship Train!団体臨時列車「ひまわり号」
臨時列車 - 2018年10月22日 (月)
記事掲載を忘れていましたが、9月30日に札幌~小樽間にて、キハ40形気動車4両編成を使用した団体臨時列車「ひまわり号」が運転されました。
様子を確認することができたのでお伝えします。

まずは苗穂運転所(札ナホ)で出区準備中の様子です。まだまだ北海道のローカル線ではキハ40形気動車が第一線で活躍していますが、4両編成で運行されている列車は少なかったはずです。
特に札幌圏では、早朝や深夜の車両の検査を伴う回送車両が連結されていなければ実現しないはずです。それだけ、今回の運転は注目度も大きかったと思います。

サボは「団体」が使用されていました。

札幌駅の発車を知らせる案内板でも、ちゃんと「ひまわり号」と表示されました。

小樽方面へ向かう列車だけ稲穂駅で撮影しました。ちょうど「マヤ34-2008」と「マヤ35-1」との並びを撮影するついでに同駅を選びました。
しかし、これらの車両に夢中で通過時刻を10分間違ってしまったため、このような中途半端なアングルとなってしまいました。札幌駅で案内板を撮影しておきながら、本当に情けない結果になりました。
それでも、先日「マヤ34-2008」がついに苗穂工場へ入場したようで、「ひまわり号」は失敗してもダブルマヤは撮影でき、多少ながら救われました。
編成は以下のとおりでした。
<小樽⇔札幌:キハ40系>
上記の4両編成でした。いずれも苗穂運転所所属車でした。
札幌方の1両を除き、冷房車が使用されました。
午前中に小樽まで運行され、夕方に札幌に到着するスケジュールで運行されました。参加者は150名弱で「おたる水族館」や「小樽運河」を見学されたようです。
撮影を失敗してしまったため、代わりに、「ひまわり号」の詳細について紹介します。列車は撮影しても「ひまわり号」がどういった列車かは理解していない方が多いと思います。
実際に調べてみると、奥が深い列車ですよ。
「ひまわり号」が設定された背景としては、車椅子の通れない改札口、階段が多く障がい者の利用できるトイレのない駅や、列車の構造などで、障がいがある人たちが自由に列車に乗って旅が出来ないという現状のなか「列車に乗ってみたい」「旅をしたい」という障がい者の切実な願いを実現させようと専用列車を走らせたのが 「ひまわり号」運動の始まりでした。
1982年11月3日文化の日(国際障害者年スタートの翌年)、日本で初めての「ひまわり号」が上野・日光間を8輌編成で走りました.
鉄道開始110年目でした。
活動は発展して、やがて友情列車「ひまわり号」が走る…。この活動が全国的に大きな反響を呼び、そして、翌年1983年には、東京都(2)、千葉県、群馬県、京都府、広島県、愛媛県(2)、福岡県の全国9ヶ所でボランティアや障がい者を含む4,300人を乗せて「ひまわり号」が走りました。
その後、「ひまわり号」は年々大きく全国各地に広がり、2000年には北海道から九州まで全国で68の実行委員会が活動するようになり、現在は日本各地で71の実行委員会が活動しています。
ちなみに、ボランティア活動としてその後の活動を続けるためにチャリティービアーでワゴン車を購入し、その車に「ひまわり号」と名付けたのが始まりです。
助け合い励ましあって、お互いが生きる絆を固く結び、「ひまわり号」は当記事の題名のとおり、「Friendship-Train」として友情列車、連帯列車という意味も込められているようです。
全国各地の「ひまわり号」の実行委員会があるところでは、「ひまわり号」が走ったことをきっかけとして、障がい者も利用できるトイレの設置や、スロープの設置、改札口の改善がされたり、地域における住民たちの障がい者にたいする理解やボランティア活動への積極的参加がなされるなど、バリアフリー化が進展しつつあります。行政機関や企業などでも施設の改善や、利用しやすいように工夫するなど社会の仕組みの変化となって表れてきています。
しかし、すべての交通機関、施設などが改善されてはおらず、また、人々が十分な理解と協力の体制ができているわけではありません。 「障がい者の要求実現」という視点から出発した「ひまわり号」運動は今、「障がいがある、ないにかかわらず」本当の意味で、差別のない、対等平等の精神の確立と、施設の充実を目指して政府や地方自治体・企業にも積極的に働きかけ、すべての人が「いつでも、だれでも、どこへでも安心して利用できる交通のしくみ」と安心して住み続けられる「まちづくり」をめざして全国
統一の運動として取り組んでいます。
今回運行された「ひまわり号」は、「ひまわり号を走らせる札幌実行委員会」の主催で運行された団体臨時列車です。当会では以下の5つの目標を掲げています。
1.「列車に乗って旅をしたい」「海や山を見たい」という障害を持つ人々の要求を実現しよう
2.障がいを持つ人々が抱えている問題に対する市民の理解と協力を広げよう
3.誰もが暮らしやすい街づくりを通じて福祉社会の発展を目指そう
4.障がいを持つ人々やその家族、及び障害者団体同士のつながりを広げよう
5.この運動に関わる全ての人々が、人間的にも成長する事をめざそう
1985年以来、列車の旅をはじめとして、お花見や雪まつり交流会、花火大会の見物、プロ野球やサッカーの観戦等を通じて、物心両面からバリアフリー社会を目指しています。
北海道では、障害を持つひとの夢と希望をのせて、1985年9月23日秋分の日に初めて895名を 乗せた「ひまわり号」が札幌~余市間を走りました。そして過去16年間に札幌から21本もの列車を走らせ(2016年現在)、およそ8,550人の人たちを目的地に運んでいます。
参加者の中には、目や耳の不自由な方もおり、誰もがイベントに安心して参加してもらわなければなりません。ボランティアは、受付部、企画部、行動部、器材部、事業部、医療部、広報部、会計部、送迎部に分かれ、何度も現地調査実施し、車椅子の操作や介護の仕方を事前に学習します。
たかが札幌~小樽間を走らせ、今回であれば150名弱で「おたる水族館」や「小樽運河」を見学すうだけですが、事前にボランティア仲間が寝る間も惜しんで「ひまわり号」に乗って旅をするイベントを準備するわけです。これらボランティア仲間がいるからこそ、走らせることのできる列車であり、企画できるイベントなのです。
街は、そこに住む人すべてが安心して、快適に生活できるものでなければなりません。しかし、残念ながら障害を持つひとにとって障害(バリア)になるものが多くあります。
例えば、道路の段差、階段、トイレ、改札口の幅、ホームと列車の高さ等々など、 「ひまわり号」はこうした問題を、地元と共に改善したり手当てをしたりして、福祉行政全体の発展を目指します。障がい者にとって便利なことは、老人、子供、病人、妊婦、重い荷を持つひとたちにも便利なことです。
「ひまわり号」が走れば、街が変わります。地域が変わります。街と街を繋ぐレールは、人々の心と心を繋ぎます。
ほとんど公式ページのものをそのままコピーして掲載しました。このあたりで割愛しますが、詳しくは、ひまわり号を走らせる札幌実行委員会のホームページをご覧ください。
「ひまわり号」が設定される背景には、こうした大切な意味があり、キハ40形気動車による4両編成が走ることで撮影に出かける、もしくは浮かれ上がっている管理者は、非常に情けなく感じてしまいます。
鉄道ファンを喜ばすために走らせるのではなく、あくまで身体の不自由な方が安心して旅をしたり、そこで思い出をつくるための移動手段であって、改めて「ひまわり号」という列車が大事な役割を果たしているかを知ることができました。
ただただ写真を撮影して編成を紹介するのではなく、こうして「ひまわり号」が運行される経緯を把握し、少しでも閲覧する皆様にお届けできたらと思います。
最後になりますが、「ひまわり号」が設定されるに際して、どうして身体が不自由な方々のための列車であるにも関わらず、733系のような最新設備が整い、且つ身体の不自由な方に対してもやさしいつくりの車両で運行されなかったのかが不思議に思います。
一昨年も昨年のキハ40形気動車による運行だったと思います。昨年は非電化区間への入線乗降時は段差があり、障がい者の方々に対して、必ずしも利便性が高い列車ではなかったと思います。
運用の都合上、普段稼働する機会が少ない車両が充当せざるを得ないと思いますが、公式ページにも記載されているとおり、障がい者が好きなとき、好きな場所へ、一人で行けることを追及しなければなりません。いわゆる、日常化を課題としており、バリア・フリーが社会の隅々にまで実現することを目指し、21世紀を全ての人の人権が確立する世紀にしなければならないと記載している以上、キハ40形気動車を充当させることは、あってはならないことだと管理者は感じています。
身体の不自由な方々の移動がメインであれば、不便なキハ40形気動車よりも733系を充当させるべきでした。非電化区間への移動ならまだしも、今回は全て電化区間であり、電車での対応も十分可能でした。これは今後の課題として、来年度以降に期待しましょう。
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まずは苗穂運転所(札ナホ)で出区準備中の様子です。まだまだ北海道のローカル線ではキハ40形気動車が第一線で活躍していますが、4両編成で運行されている列車は少なかったはずです。
特に札幌圏では、早朝や深夜の車両の検査を伴う回送車両が連結されていなければ実現しないはずです。それだけ、今回の運転は注目度も大きかったと思います。

サボは「団体」が使用されていました。

札幌駅の発車を知らせる案内板でも、ちゃんと「ひまわり号」と表示されました。

小樽方面へ向かう列車だけ稲穂駅で撮影しました。ちょうど「マヤ34-2008」と「マヤ35-1」との並びを撮影するついでに同駅を選びました。
しかし、これらの車両に夢中で通過時刻を10分間違ってしまったため、このような中途半端なアングルとなってしまいました。札幌駅で案内板を撮影しておきながら、本当に情けない結果になりました。
それでも、先日「マヤ34-2008」がついに苗穂工場へ入場したようで、「ひまわり号」は失敗してもダブルマヤは撮影でき、多少ながら救われました。
編成は以下のとおりでした。
<小樽⇔札幌:キハ40系>
キハ40-331 | キハ40-302 | キハ40-303 | キハ40-817 |
上記の4両編成でした。いずれも苗穂運転所所属車でした。
札幌方の1両を除き、冷房車が使用されました。
午前中に小樽まで運行され、夕方に札幌に到着するスケジュールで運行されました。参加者は150名弱で「おたる水族館」や「小樽運河」を見学されたようです。
撮影を失敗してしまったため、代わりに、「ひまわり号」の詳細について紹介します。列車は撮影しても「ひまわり号」がどういった列車かは理解していない方が多いと思います。
実際に調べてみると、奥が深い列車ですよ。
「ひまわり号」が設定された背景としては、車椅子の通れない改札口、階段が多く障がい者の利用できるトイレのない駅や、列車の構造などで、障がいがある人たちが自由に列車に乗って旅が出来ないという現状のなか「列車に乗ってみたい」「旅をしたい」という障がい者の切実な願いを実現させようと専用列車を走らせたのが 「ひまわり号」運動の始まりでした。
1982年11月3日文化の日(国際障害者年スタートの翌年)、日本で初めての「ひまわり号」が上野・日光間を8輌編成で走りました.
鉄道開始110年目でした。
活動は発展して、やがて友情列車「ひまわり号」が走る…。この活動が全国的に大きな反響を呼び、そして、翌年1983年には、東京都(2)、千葉県、群馬県、京都府、広島県、愛媛県(2)、福岡県の全国9ヶ所でボランティアや障がい者を含む4,300人を乗せて「ひまわり号」が走りました。
その後、「ひまわり号」は年々大きく全国各地に広がり、2000年には北海道から九州まで全国で68の実行委員会が活動するようになり、現在は日本各地で71の実行委員会が活動しています。
ちなみに、ボランティア活動としてその後の活動を続けるためにチャリティービアーでワゴン車を購入し、その車に「ひまわり号」と名付けたのが始まりです。
助け合い励ましあって、お互いが生きる絆を固く結び、「ひまわり号」は当記事の題名のとおり、「Friendship-Train」として友情列車、連帯列車という意味も込められているようです。
全国各地の「ひまわり号」の実行委員会があるところでは、「ひまわり号」が走ったことをきっかけとして、障がい者も利用できるトイレの設置や、スロープの設置、改札口の改善がされたり、地域における住民たちの障がい者にたいする理解やボランティア活動への積極的参加がなされるなど、バリアフリー化が進展しつつあります。行政機関や企業などでも施設の改善や、利用しやすいように工夫するなど社会の仕組みの変化となって表れてきています。
しかし、すべての交通機関、施設などが改善されてはおらず、また、人々が十分な理解と協力の体制ができているわけではありません。 「障がい者の要求実現」という視点から出発した「ひまわり号」運動は今、「障がいがある、ないにかかわらず」本当の意味で、差別のない、対等平等の精神の確立と、施設の充実を目指して政府や地方自治体・企業にも積極的に働きかけ、すべての人が「いつでも、だれでも、どこへでも安心して利用できる交通のしくみ」と安心して住み続けられる「まちづくり」をめざして全国
統一の運動として取り組んでいます。
今回運行された「ひまわり号」は、「ひまわり号を走らせる札幌実行委員会」の主催で運行された団体臨時列車です。当会では以下の5つの目標を掲げています。
1.「列車に乗って旅をしたい」「海や山を見たい」という障害を持つ人々の要求を実現しよう
2.障がいを持つ人々が抱えている問題に対する市民の理解と協力を広げよう
3.誰もが暮らしやすい街づくりを通じて福祉社会の発展を目指そう
4.障がいを持つ人々やその家族、及び障害者団体同士のつながりを広げよう
5.この運動に関わる全ての人々が、人間的にも成長する事をめざそう
1985年以来、列車の旅をはじめとして、お花見や雪まつり交流会、花火大会の見物、プロ野球やサッカーの観戦等を通じて、物心両面からバリアフリー社会を目指しています。
北海道では、障害を持つひとの夢と希望をのせて、1985年9月23日秋分の日に初めて895名を 乗せた「ひまわり号」が札幌~余市間を走りました。そして過去16年間に札幌から21本もの列車を走らせ(2016年現在)、およそ8,550人の人たちを目的地に運んでいます。
参加者の中には、目や耳の不自由な方もおり、誰もがイベントに安心して参加してもらわなければなりません。ボランティアは、受付部、企画部、行動部、器材部、事業部、医療部、広報部、会計部、送迎部に分かれ、何度も現地調査実施し、車椅子の操作や介護の仕方を事前に学習します。
たかが札幌~小樽間を走らせ、今回であれば150名弱で「おたる水族館」や「小樽運河」を見学すうだけですが、事前にボランティア仲間が寝る間も惜しんで「ひまわり号」に乗って旅をするイベントを準備するわけです。これらボランティア仲間がいるからこそ、走らせることのできる列車であり、企画できるイベントなのです。
街は、そこに住む人すべてが安心して、快適に生活できるものでなければなりません。しかし、残念ながら障害を持つひとにとって障害(バリア)になるものが多くあります。
例えば、道路の段差、階段、トイレ、改札口の幅、ホームと列車の高さ等々など、 「ひまわり号」はこうした問題を、地元と共に改善したり手当てをしたりして、福祉行政全体の発展を目指します。障がい者にとって便利なことは、老人、子供、病人、妊婦、重い荷を持つひとたちにも便利なことです。
「ひまわり号」が走れば、街が変わります。地域が変わります。街と街を繋ぐレールは、人々の心と心を繋ぎます。
ほとんど公式ページのものをそのままコピーして掲載しました。このあたりで割愛しますが、詳しくは、ひまわり号を走らせる札幌実行委員会のホームページをご覧ください。
「ひまわり号」が設定される背景には、こうした大切な意味があり、キハ40形気動車による4両編成が走ることで撮影に出かける、もしくは浮かれ上がっている管理者は、非常に情けなく感じてしまいます。
鉄道ファンを喜ばすために走らせるのではなく、あくまで身体の不自由な方が安心して旅をしたり、そこで思い出をつくるための移動手段であって、改めて「ひまわり号」という列車が大事な役割を果たしているかを知ることができました。
ただただ写真を撮影して編成を紹介するのではなく、こうして「ひまわり号」が運行される経緯を把握し、少しでも閲覧する皆様にお届けできたらと思います。
最後になりますが、「ひまわり号」が設定されるに際して、どうして身体が不自由な方々のための列車であるにも関わらず、733系のような最新設備が整い、且つ身体の不自由な方に対してもやさしいつくりの車両で運行されなかったのかが不思議に思います。
一昨年も昨年のキハ40形気動車による運行だったと思います。昨年は非電化区間への入線乗降時は段差があり、障がい者の方々に対して、必ずしも利便性が高い列車ではなかったと思います。
運用の都合上、普段稼働する機会が少ない車両が充当せざるを得ないと思いますが、公式ページにも記載されているとおり、障がい者が好きなとき、好きな場所へ、一人で行けることを追及しなければなりません。いわゆる、日常化を課題としており、バリア・フリーが社会の隅々にまで実現することを目指し、21世紀を全ての人の人権が確立する世紀にしなければならないと記載している以上、キハ40形気動車を充当させることは、あってはならないことだと管理者は感じています。
身体の不自由な方々の移動がメインであれば、不便なキハ40形気動車よりも733系を充当させるべきでした。非電化区間への移動ならまだしも、今回は全て電化区間であり、電車での対応も十分可能でした。これは今後の課題として、来年度以降に期待しましょう。
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