【コラム】存続の危機が迫られる宗谷本線~「風っこそうや号」はその警告列車
コラム - 2020年01月04日 (土)
昨年の夏、宗谷本線でJR東日本から「びゅうコースター風っこ」の車両を借り受け、これにキハ40形気動車を改造した北海道の恵み号を2両連結した「風っこそうや号」が運行されました。
同列車は、一昨年9月に発生した北海道胆振東部地震からの観光復興を趣旨に、JR東日本とJR北海道、JR貨物の連携によって実現した列車です。
第一弾が稚内~音威子府間で、第二弾が旭川~音威子府間で運行されました。残念ながら乗車することはできませんでしたが、管理者も、これまでに見たことのない臨時列車を見ようと、宗谷本線に何度か足を運び、同列車を夢中になって撮影しました。


宗谷本線沿線の特に同列車が停車する駅には、これまでにない賑わいを見せたことでしょう。久々に宗谷本線が活気に満ち溢れた出来事でした。
こうした臨時列車が設定されることは嬉しい反面、実は北海道の鉄道が危機的状況だということを認識しなければなりません。
閲覧する皆さんに質問しましょう。
なぜ、宗谷本線でJR東日本から車両を借り入れまでして、特別な臨時列車を運行させたのでしょうか??
理由は簡単です。
宗谷本線が危機的状況だからです。
見方を変えると、一躍注目を浴びた「風っこそうや号」は、宗谷本線が危機的状況であることを示す最終警告列車です。
胆振東部地震の復興を主目的とするのであれば、震源に近い場所の路線で運行経路を決めるでしょう。管理者であれば、鵡川から苫小牧で方向転換し、室蘭本線を経由して新夕張、占冠あたりまでが妥当ではないでしょうか?これでだいたい140km程度走行することになると思います。
しかし、こうした震源から近い路線は走行ルートに選ばれませんでした。理由は不明ですが、単独で維持することが可能な路線・線区が含まれており、観光復興を主目的とするのであれば、もっと危機的状況の路線を選んだ方が、特に観光による収益増の効果を期待できると判断したためではないでしょうか?
そうして選ばれたのが宗谷本線でした。第一弾の稚内発着にしても、第二弾の旭川発着にしても、いずれも音威子府駅が発着でした。

駅舎内の蕎麦が有名であり、交通ターミナルとしての役割も担っています。
音威子府という地名の読み方を知っていますか?ひらがなで書くと、「おといねっぷ」です。
音威子府町ではなく、音威子府村です。実は、北海道で一番小さな村であり、自治体でもあります。人口も北海道で一番少ない村です。音威子府村の公式ページより、住民基本台帳から、2018年現在の人口は770人のようです。もちろん、特急列車が停車する自治体としてみても、人口が一番少ないです。
かつては、天北線への分岐点でもあったことから、鉄道のまちとして発展しましたが、国道40号線が開通したことで工事に携わっていた作業員の転出や、国鉄合理化に伴う人員削減や天北線の廃止などで人口流出が止まらず、10年前の2010年に人口がついに1000人を割り込みました。
利尻島へ行く際、車で音威子府村を通過していますが、だいたい1分程度で村を通過します。


村内をとおる国道40号線を眺めます。歩いている人もいなければ(写真ではたまたまいますが)、走っている車もありません。宗谷本線の沿線の中でも特に人口希薄地帯と言えるでしょう。
なので、音威子府駅発着としたことも、こうした村の状況を知れば納得のできることです。宗谷本線の沿線の中でも、特に音威子府村が昨今も、そして将来的にも危機的状況ということが伺えます。10年で人口が200人以上減っているので、仮にこのままの推移で減少を続けると、50年後には音威子府村は廃村し、写真のあたりは廃墟が広がっているかもしれません。しかし、村内には、おといねっぷ美術工芸高校が設置されており、村外からも生徒を受け入れていることから、完全に人口がゼロになることはなさそうです。それでも、学生人口が多い反面、就職などの理由から、20代以上の人口が急激に減っているようです。数値的なデータから読み取れるとおり、自治体として将来的な展望が危うい状況にまできています。
音威子府村に限らず、宗谷本線は名寄以北が特に人口希薄地帯になります。国道を走っていてもまず民家がありません。1日の利用がゼロの駅も多いようです。
宗谷本線では、一昨年4月にまとめた「アクションプラン」によって1日あたりの乗車人員が3人以下の29駅を対象に、自治体で管理するか、廃止するかの判断を求めています。
対象駅は・・・
南比布、北比布、蘭留、塩狩、東六線、北剣淵、下士別、瑞穂、日進、北星、智北、南美深、紋穂内、恩根内、豊清水、天塩川温泉、咲来、筬島、佐久、歌内、問寒別、糠南、雄信内、安牛、南幌延、上幌延、下沼、徳満、抜海の29駅です。
このうち、一部の駅では通学等で使用している駅もあり、頭を悩ませているようです。それにしても、1日の利用が3人以下となる駅がこれほどまでに多いとは驚きですよね。
中には、全く利用されていない駅もあるはずです。
29駅は旭川駅から近い順に記載しました。名寄駅は瑞穂と日進の間になります。後者は名寄駅の隣の駅です。それでも利用者が1日に3人以下ということで、急に人口希薄地帯になります。
これらの駅は元々正式な駅ではなかった駅もたくさんあります。というのも、かつては全国のうちその9割が北海道内に占めていた仮乗降場(かりじょうこうじょう)の存在があります。
仮乗降場とは、国鉄における停車場の形態のひとつです。一般の鉄道駅が国鉄本社の認可に基づいて設置されているのに対し、仮乗降場は地方の鉄道管理局の判断のみで設けることができました。
駅を設けるほどのない場所で、利用者の利便性を確保するために設置されたものです。駅を設けるのには多額の資金や、各種の許認可等煩雑な手続き等が必要なのに対し、仮乗降場は低資金で簡単に設置することができました。
そのほとんどが北海道で設置されており、その他の地域には数えるほどしか設置されていなかったようです。
なぜ北海道で仮乗降場の設置が進んだかというと、北海道の場合は人口密度が低く、本格的に鉄道駅を設置できる比較的大きな集落が少ないことから、駅間距離が比較的長く、利用者の居住地と駅の距離も遠くなりがちな状況にありました。そのため、通勤・通学や高齢者などの公共交通手段を必要とする利用者に対して改善が必要な状況にありました。
加えて、当時は道路などのインフラも発達しておらず、冬季に道路が遮断された場合における公共交通手段確保の点からも、鉄道によるアクセスの向上が求められていました。
このように、正式の駅を設置するほどの利用はありませんが、無視できない需要がある場所に道内では容易に設置できる仮乗降場設置が進んでいきました。
仮乗降場の設置基準は、北海道内の各鉄道管理局によりばらつきがありました。特に、旭川鉄道管理局(現在のJR北海道旭川支社に相当)が設けた仮乗降場の数は、他の道内の各管理局管轄の路線と比べて圧倒的に多いです。これは政治的背景があるのか、単に無計画で仮乗降場の設置が推進されたのかは不明ですが、単行列車がようやく停車できるような板張りホームと粗末な標柱、それに数人が入れるかどうかの待合室が設置されている旅客駅は現在の旭川支社管内の路線に多くあります。宗谷本線や石北本線、留萌本線の駅でそうした構造が多くみられ、且つ利用者がゼロの旅客駅が多いというのは、かつて仮乗降場として使用されていたものが大半を占めていることにほかなりません。
一部は国鉄時代に正式な旅客駅に昇格しました。そして、道内の仮乗降場の大きな転機が訪れるのが国鉄分割民営化です。道内に設置されていた仮乗降場のほとんどが旅客駅へ昇格しました。一部の駅については、引き続き一部普通列車を通過する措置がとられたようですが、正式な旅客駅としたことで維持費もかかり、昨今のように簡単に廃止にすることができない風潮を生み出してしまいましたね。
なぜ元々の利用の少ない仮乗降場を正式な旅客駅へ昇格させたかというと、国鉄分割民営化によって国鉄本社の認可が不要になり、特段ルールが設けられておらず、容易に旅客駅への昇格が可能になったことが上げられます。管理者もよくわかりませんが、おそらくほかにも仮乗降場が時刻表に記載されていなかったことや、運賃計算方法にあると推測します。
日常的な利用者以外にとって、仮乗降場は存在が全くわからない謎の駅でした。全国版の時刻表では、扱い場正式な旅客駅ではないため、仮乗降場は一部を除いて掲載されていなかったようです。このような事情から、旅客駅へ昇格し、正式に時刻表に掲載することで利用者への負担を減らしたものと推測します。
また、仮乗降場はあくまで地方鉄道管理局の判断により設けられたものであり、国鉄当局の設置した正式な旅客駅ではありません。このため、運賃計算上必要な営業キロを設定することが難しく、運賃は仮乗降場で降りる場合だと次の旅客駅まで、仮乗降場から乗る場合は、その手前の旅客駅からの営業キロでそれぞれ計算されていました。要するに、正式な運賃制度が導入されていなかったのです。
例えば、道内で国鉄分割民営化直前に廃止された士幌線内にあった電力所前仮乗降場は、少し離れて位置する黒石平駅の代替として設置されたことから、運賃は黒石平駅と同一とみなされていたようです。
正式な旅客駅とすることで営業キロも設けられ、正式な運賃制度が設けられたことでしょう。
仮乗降場については、wikipediaで道内で特に国鉄分割民営化までに廃止となった路線を調べると、1970年代の時点で仮乗降場が設置されていた周辺がどのような状況だったのかを調べることができます。いずれも人口希薄地帯で、中には当時ですら既に周辺人口がゼロの場所も少なくありません。調べていくと止まらなくなります。ついつい夜更かしをしてしまいますね。
このように、かつて利用の少なかった仮乗降場として設置された駅が、半ば放置された状態でここまで正式な旅客駅として引きずってきました。そもそも国鉄時代ですら設置が難しい場所に設けられたわけですから、それが現在でも必要かと問われれば、本当に必要な駅は全体の数%にも満たないでしょう。宗谷本線の中には頑張って維持する方向のそうした駅もあるようですが、おそらく周辺人口は限りなくゼロに近いと思います。
こうやって過去を辿っていくと、廃止せざるを得ない状況になるのは当たり前であり、むしろ今の今まで残っていたのが不思議なくらいです。かつてJR北海道がローカル輸送を軽視し、都市間輸送をメインに高速化を推進していきました。これが2013年頃まで続いていたわけです。これは管理者も以前から指摘しているとおり、JR北海道の悪い体質そのものです。
利用状況をこまめに把握し、徐々に整理しておけば、一気に29駅も見直し対象にはならなかったでしょう。長年のツケが一気に回ってきただけです。旅客駅を廃止せざるを得ないのは、沿線人口を増やすことができなかった沿線の自治体にも責任の一端があるのです。旅客駅として存続させるためには、人口を増やし、日頃の利用を増やすしかないのです。
先日報道されましたが、宗谷本線では「風っこそうや号」の運行で一時的に利用促進効果はあったものの、それは一定の期間だけであり、長続きはしませんでした。おそらく、昨今は普段と変わらない寂しい宗谷本線に戻っていることでしょう。管理者もその一人ですが、特別な列車が走るから、その様子を見に、記録しに行くだけであって、それ以外の目的で日頃から利用するわけではありません。乗車計画も立てていましたが、満席で実現することはできませんでした。札幌市在住の管理者にとって宗谷本線は遠方であり、鉄道を利用するにもお金がかかります。そんな頻繁に利用することはできないです。
利用増進を図るためには、何度も言っているとおり、沿線人口を増やすしかありません。人口を増やすことで通勤・通学における一定の収入が入ります。報道では打開策が見当たらないと記載していましたが、人口増やすことこそが打開策です。それ以外の方法は管理者でも思いつきません。とにかく人口を増やすことです。観光客は安定収入につながりません。
「風っこそうや号」で沿線は賑わいましたが、週末のみの運転で、決して運転日は多くありませんでした。臨時列車のため、安定収入に結びつかないため、沿線におけるその効果はほんの一握りだったと推測します。同線の29駅が見直し対象になる等、危機的状況だということは言うまでもありません。加えて「風っこそうや号」も設定されたことから、宗谷本線はかなり危機的状況であるという見方ができます。

ここでお知らせです。1月18日(土)に「JR宗谷本線の未来を語る座談会」を開催します。ちょうど2週間後ですね。
道北地方の都市間交通、地域公共交通網の将来に向けて、「北海道で一番小さな村」が旗振り役となり、シンポジウムイベント「JR宗谷本線の未来を語る座談会」を開催します。
場所は、音威子府村福祉交流拠点地域複合施設「ときわ」(JR音威子府駅前すぐ、字音威子府509番地88)です。
午前中に「風っこそうや号」に関するミーティング、午後からはJR宗谷本線の未来を語る座談会を開催する予定です。時間があれば皆さんも行ってみてはいかがでしょうか?
年末年始輸送期間中の特急利用は旭川駅を境に利用が極端になっているとのことです。航空機や高速バスといったライバルもおり、「宗谷」・「サロベツ」は引き続きライバルに対して厳しい戦いになりそうです。
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同列車は、一昨年9月に発生した北海道胆振東部地震からの観光復興を趣旨に、JR東日本とJR北海道、JR貨物の連携によって実現した列車です。
第一弾が稚内~音威子府間で、第二弾が旭川~音威子府間で運行されました。残念ながら乗車することはできませんでしたが、管理者も、これまでに見たことのない臨時列車を見ようと、宗谷本線に何度か足を運び、同列車を夢中になって撮影しました。


宗谷本線沿線の特に同列車が停車する駅には、これまでにない賑わいを見せたことでしょう。久々に宗谷本線が活気に満ち溢れた出来事でした。
こうした臨時列車が設定されることは嬉しい反面、実は北海道の鉄道が危機的状況だということを認識しなければなりません。
閲覧する皆さんに質問しましょう。
なぜ、宗谷本線でJR東日本から車両を借り入れまでして、特別な臨時列車を運行させたのでしょうか??
理由は簡単です。
宗谷本線が危機的状況だからです。
見方を変えると、一躍注目を浴びた「風っこそうや号」は、宗谷本線が危機的状況であることを示す最終警告列車です。
胆振東部地震の復興を主目的とするのであれば、震源に近い場所の路線で運行経路を決めるでしょう。管理者であれば、鵡川から苫小牧で方向転換し、室蘭本線を経由して新夕張、占冠あたりまでが妥当ではないでしょうか?これでだいたい140km程度走行することになると思います。
しかし、こうした震源から近い路線は走行ルートに選ばれませんでした。理由は不明ですが、単独で維持することが可能な路線・線区が含まれており、観光復興を主目的とするのであれば、もっと危機的状況の路線を選んだ方が、特に観光による収益増の効果を期待できると判断したためではないでしょうか?
そうして選ばれたのが宗谷本線でした。第一弾の稚内発着にしても、第二弾の旭川発着にしても、いずれも音威子府駅が発着でした。

駅舎内の蕎麦が有名であり、交通ターミナルとしての役割も担っています。
音威子府という地名の読み方を知っていますか?ひらがなで書くと、「おといねっぷ」です。
音威子府町ではなく、音威子府村です。実は、北海道で一番小さな村であり、自治体でもあります。人口も北海道で一番少ない村です。音威子府村の公式ページより、住民基本台帳から、2018年現在の人口は770人のようです。もちろん、特急列車が停車する自治体としてみても、人口が一番少ないです。
かつては、天北線への分岐点でもあったことから、鉄道のまちとして発展しましたが、国道40号線が開通したことで工事に携わっていた作業員の転出や、国鉄合理化に伴う人員削減や天北線の廃止などで人口流出が止まらず、10年前の2010年に人口がついに1000人を割り込みました。
利尻島へ行く際、車で音威子府村を通過していますが、だいたい1分程度で村を通過します。


村内をとおる国道40号線を眺めます。歩いている人もいなければ(写真ではたまたまいますが)、走っている車もありません。宗谷本線の沿線の中でも特に人口希薄地帯と言えるでしょう。
なので、音威子府駅発着としたことも、こうした村の状況を知れば納得のできることです。宗谷本線の沿線の中でも、特に音威子府村が昨今も、そして将来的にも危機的状況ということが伺えます。10年で人口が200人以上減っているので、仮にこのままの推移で減少を続けると、50年後には音威子府村は廃村し、写真のあたりは廃墟が広がっているかもしれません。しかし、村内には、おといねっぷ美術工芸高校が設置されており、村外からも生徒を受け入れていることから、完全に人口がゼロになることはなさそうです。それでも、学生人口が多い反面、就職などの理由から、20代以上の人口が急激に減っているようです。数値的なデータから読み取れるとおり、自治体として将来的な展望が危うい状況にまできています。
音威子府村に限らず、宗谷本線は名寄以北が特に人口希薄地帯になります。国道を走っていてもまず民家がありません。1日の利用がゼロの駅も多いようです。
宗谷本線では、一昨年4月にまとめた「アクションプラン」によって1日あたりの乗車人員が3人以下の29駅を対象に、自治体で管理するか、廃止するかの判断を求めています。
対象駅は・・・
南比布、北比布、蘭留、塩狩、東六線、北剣淵、下士別、瑞穂、日進、北星、智北、南美深、紋穂内、恩根内、豊清水、天塩川温泉、咲来、筬島、佐久、歌内、問寒別、糠南、雄信内、安牛、南幌延、上幌延、下沼、徳満、抜海の29駅です。
このうち、一部の駅では通学等で使用している駅もあり、頭を悩ませているようです。それにしても、1日の利用が3人以下となる駅がこれほどまでに多いとは驚きですよね。
中には、全く利用されていない駅もあるはずです。
29駅は旭川駅から近い順に記載しました。名寄駅は瑞穂と日進の間になります。後者は名寄駅の隣の駅です。それでも利用者が1日に3人以下ということで、急に人口希薄地帯になります。
これらの駅は元々正式な駅ではなかった駅もたくさんあります。というのも、かつては全国のうちその9割が北海道内に占めていた仮乗降場(かりじょうこうじょう)の存在があります。
仮乗降場とは、国鉄における停車場の形態のひとつです。一般の鉄道駅が国鉄本社の認可に基づいて設置されているのに対し、仮乗降場は地方の鉄道管理局の判断のみで設けることができました。
駅を設けるほどのない場所で、利用者の利便性を確保するために設置されたものです。駅を設けるのには多額の資金や、各種の許認可等煩雑な手続き等が必要なのに対し、仮乗降場は低資金で簡単に設置することができました。
そのほとんどが北海道で設置されており、その他の地域には数えるほどしか設置されていなかったようです。
なぜ北海道で仮乗降場の設置が進んだかというと、北海道の場合は人口密度が低く、本格的に鉄道駅を設置できる比較的大きな集落が少ないことから、駅間距離が比較的長く、利用者の居住地と駅の距離も遠くなりがちな状況にありました。そのため、通勤・通学や高齢者などの公共交通手段を必要とする利用者に対して改善が必要な状況にありました。
加えて、当時は道路などのインフラも発達しておらず、冬季に道路が遮断された場合における公共交通手段確保の点からも、鉄道によるアクセスの向上が求められていました。
このように、正式の駅を設置するほどの利用はありませんが、無視できない需要がある場所に道内では容易に設置できる仮乗降場設置が進んでいきました。
仮乗降場の設置基準は、北海道内の各鉄道管理局によりばらつきがありました。特に、旭川鉄道管理局(現在のJR北海道旭川支社に相当)が設けた仮乗降場の数は、他の道内の各管理局管轄の路線と比べて圧倒的に多いです。これは政治的背景があるのか、単に無計画で仮乗降場の設置が推進されたのかは不明ですが、単行列車がようやく停車できるような板張りホームと粗末な標柱、それに数人が入れるかどうかの待合室が設置されている旅客駅は現在の旭川支社管内の路線に多くあります。宗谷本線や石北本線、留萌本線の駅でそうした構造が多くみられ、且つ利用者がゼロの旅客駅が多いというのは、かつて仮乗降場として使用されていたものが大半を占めていることにほかなりません。
一部は国鉄時代に正式な旅客駅に昇格しました。そして、道内の仮乗降場の大きな転機が訪れるのが国鉄分割民営化です。道内に設置されていた仮乗降場のほとんどが旅客駅へ昇格しました。一部の駅については、引き続き一部普通列車を通過する措置がとられたようですが、正式な旅客駅としたことで維持費もかかり、昨今のように簡単に廃止にすることができない風潮を生み出してしまいましたね。
なぜ元々の利用の少ない仮乗降場を正式な旅客駅へ昇格させたかというと、国鉄分割民営化によって国鉄本社の認可が不要になり、特段ルールが設けられておらず、容易に旅客駅への昇格が可能になったことが上げられます。管理者もよくわかりませんが、おそらくほかにも仮乗降場が時刻表に記載されていなかったことや、運賃計算方法にあると推測します。
日常的な利用者以外にとって、仮乗降場は存在が全くわからない謎の駅でした。全国版の時刻表では、扱い場正式な旅客駅ではないため、仮乗降場は一部を除いて掲載されていなかったようです。このような事情から、旅客駅へ昇格し、正式に時刻表に掲載することで利用者への負担を減らしたものと推測します。
また、仮乗降場はあくまで地方鉄道管理局の判断により設けられたものであり、国鉄当局の設置した正式な旅客駅ではありません。このため、運賃計算上必要な営業キロを設定することが難しく、運賃は仮乗降場で降りる場合だと次の旅客駅まで、仮乗降場から乗る場合は、その手前の旅客駅からの営業キロでそれぞれ計算されていました。要するに、正式な運賃制度が導入されていなかったのです。
例えば、道内で国鉄分割民営化直前に廃止された士幌線内にあった電力所前仮乗降場は、少し離れて位置する黒石平駅の代替として設置されたことから、運賃は黒石平駅と同一とみなされていたようです。
正式な旅客駅とすることで営業キロも設けられ、正式な運賃制度が設けられたことでしょう。
仮乗降場については、wikipediaで道内で特に国鉄分割民営化までに廃止となった路線を調べると、1970年代の時点で仮乗降場が設置されていた周辺がどのような状況だったのかを調べることができます。いずれも人口希薄地帯で、中には当時ですら既に周辺人口がゼロの場所も少なくありません。調べていくと止まらなくなります。ついつい夜更かしをしてしまいますね。
このように、かつて利用の少なかった仮乗降場として設置された駅が、半ば放置された状態でここまで正式な旅客駅として引きずってきました。そもそも国鉄時代ですら設置が難しい場所に設けられたわけですから、それが現在でも必要かと問われれば、本当に必要な駅は全体の数%にも満たないでしょう。宗谷本線の中には頑張って維持する方向のそうした駅もあるようですが、おそらく周辺人口は限りなくゼロに近いと思います。
こうやって過去を辿っていくと、廃止せざるを得ない状況になるのは当たり前であり、むしろ今の今まで残っていたのが不思議なくらいです。かつてJR北海道がローカル輸送を軽視し、都市間輸送をメインに高速化を推進していきました。これが2013年頃まで続いていたわけです。これは管理者も以前から指摘しているとおり、JR北海道の悪い体質そのものです。
利用状況をこまめに把握し、徐々に整理しておけば、一気に29駅も見直し対象にはならなかったでしょう。長年のツケが一気に回ってきただけです。旅客駅を廃止せざるを得ないのは、沿線人口を増やすことができなかった沿線の自治体にも責任の一端があるのです。旅客駅として存続させるためには、人口を増やし、日頃の利用を増やすしかないのです。
先日報道されましたが、宗谷本線では「風っこそうや号」の運行で一時的に利用促進効果はあったものの、それは一定の期間だけであり、長続きはしませんでした。おそらく、昨今は普段と変わらない寂しい宗谷本線に戻っていることでしょう。管理者もその一人ですが、特別な列車が走るから、その様子を見に、記録しに行くだけであって、それ以外の目的で日頃から利用するわけではありません。乗車計画も立てていましたが、満席で実現することはできませんでした。札幌市在住の管理者にとって宗谷本線は遠方であり、鉄道を利用するにもお金がかかります。そんな頻繁に利用することはできないです。
利用増進を図るためには、何度も言っているとおり、沿線人口を増やすしかありません。人口を増やすことで通勤・通学における一定の収入が入ります。報道では打開策が見当たらないと記載していましたが、人口増やすことこそが打開策です。それ以外の方法は管理者でも思いつきません。とにかく人口を増やすことです。観光客は安定収入につながりません。
「風っこそうや号」で沿線は賑わいましたが、週末のみの運転で、決して運転日は多くありませんでした。臨時列車のため、安定収入に結びつかないため、沿線におけるその効果はほんの一握りだったと推測します。同線の29駅が見直し対象になる等、危機的状況だということは言うまでもありません。加えて「風っこそうや号」も設定されたことから、宗谷本線はかなり危機的状況であるという見方ができます。

ここでお知らせです。1月18日(土)に「JR宗谷本線の未来を語る座談会」を開催します。ちょうど2週間後ですね。
道北地方の都市間交通、地域公共交通網の将来に向けて、「北海道で一番小さな村」が旗振り役となり、シンポジウムイベント「JR宗谷本線の未来を語る座談会」を開催します。
場所は、音威子府村福祉交流拠点地域複合施設「ときわ」(JR音威子府駅前すぐ、字音威子府509番地88)です。
午前中に「風っこそうや号」に関するミーティング、午後からはJR宗谷本線の未来を語る座談会を開催する予定です。時間があれば皆さんも行ってみてはいかがでしょうか?
年末年始輸送期間中の特急利用は旭川駅を境に利用が極端になっているとのことです。航空機や高速バスといったライバルもおり、「宗谷」・「サロベツ」は引き続きライバルに対して厳しい戦いになりそうです。
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