3月ダイヤ改正で廃止された根室本線・古瀬駅(K46)
駅 - 2020年04月12日 (日)
廃止前に根室本線の古瀬駅に行ってきました。


実は3月のダイヤ改正で廃止された駅です。本来であれば、さよならイベント&セレモニーが実施される予定でしたが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、中止となってしまいました。釧網本線の南弟子屈駅も同線の運休によって最終日を迎えることができずに終了してしまいました。昨年度廃止された2駅については、何らかの形で無事に終わることができず、静かに幕を下ろしていきました。
南弟子屈駅は、快速「しれとこ摩周号」を除いて全ての普通列車が停車するのに対し、古瀬駅は秘境駅として知られ、普通列車も一部が通過する駅です。

午前中はほとんどの列車が停車せず、逆に午後は停車する列車が比較的多いです。オススメの訪問の仕方は、改正前の2526Dで15時頃に両方面から同駅に到着し、1時間13分後に後続の2528Dに乗って帯広・池田方面に抜ける方法です。このスケジュールで訪問した方が多く、待ち時間はシニアのベテラン鉄道ファンの方々と話をしながら時間を潰せるので、待合室がなくても天気が良ければあっという間に時間が過ぎます。周辺には何もなく、駅舎も存在しないため、悪天候時は本当に訪問を避けた方が良い駅でした。
実は管理者も雑誌等で確認していたので、実際にどのような駅なのかが気になっていました。そして、ダイヤ改正前に行ってきたので紹介します。

廃止前なので余計に手は加えられず、駅名標は傾いていました。



元々は信号場から駅へ昇格したため、2面2線の相対式ホームをもつ駅です。駅がずれて配置される千鳥配置式となっており、道路は1線スルー側のみに設けられており、駅前の道路から構内踏切で結んでいました。


普通列車の到着シーンです。確認した限りでは、当日は10人程度が下車しました。


古瀬駅前の道です。廃止前は車の往来も多く、道ができていたと思いますが、ほとんど利用がいない場合の冬季や夏季はどのような道なのでしょう?おそらく農道のような感じだと思いますが、地図で調べていると、生活道路というわけではなく、古瀬駅に用がなければ、使う必要のない道でもあります。
このように、周囲は森林に囲まれている中でポツリと存在する駅です。少し離れた場所に酪農家が数件確認されますが、おそらくそのような状況であれば、日頃の利用者は限りなくゼロに近かったと予想します。まぁ、不必要だからこそ廃止になるんですけどね。
上記のとおり、元々は信号場として機能していた同駅は、仮乗降場の役割を兼ねて1954年に古瀬信号場として開設しました。国鉄分割民営化とともに駅へ昇格し、古瀬駅となります。根室本線で仮乗降場から駅へ昇格した例は珍しいかもしれません。
ここで仮乗降場について改めて紹介しましょう。以前掲載したコラム記事の内容をほぼそのまま以下に掲載します。
仮乗降場(かりじょうこうじょう)とは、国鉄における停車場の形態のひとつです。一般の鉄道駅が国鉄本社の認可に基づいて設置されていたのに対し、仮乗降場は地方の鉄道管理局の判断のみで設けることができました。
駅を設けるほどのない場所で、利用者の利便性を確保するために設置されたものです。駅を設けるのには多額の資金や、各種の許認可等煩雑な手続き等が必要なのに対し、仮乗降場は低資金で簡単に設置することができました。
そのほとんどが北海道で設置されており、その他の地域には数えるほどしか設置されていなかったようです。
なぜ北海道で仮乗降場の設置が進んだかというと、北海道の場合は人口密度が低く、本格的に鉄道駅を設置できる比較的大きな集落が少ないことから、駅間距離が比較的長く、利用者の居住地と駅の距離も遠くなりがちな状況にありました。そのため、通勤・通学や高齢者などの公共交通手段を必要とする利用者に対して改善が必要な状況にありました。
加えて、当時は道路などのインフラも発達しておらず、冬季に道路が遮断された場合における公共交通手段確保の点からも、鉄道によるアクセスの向上が求められていました。
このように、正式の駅を設置するほどの利用はありませんが、無視できない需要がある場所に道内では容易に設置できる仮乗降場設置が進んでいきました。
仮乗降場の設置基準は、北海道内の各鉄道管理局によりばらつきがありました。特に、旭川鉄道管理局(現在のJR北海道旭川支社に相当)が設けた仮乗降場の数は、他の道内の各管理局管轄の路線と比べて圧倒的に多いです。これは政治的背景があるのか、単に無計画で仮乗降場の設置が推進されたのかは不明ですが、単行列車がようやく停車できるような板張りホームと粗末な標柱、それに数人が入れるかどうかの待合室が設置されている旅客駅は現在の旭川支社管内の路線に多くあります。宗谷本線や石北本線、留萌本線の駅でそうした構造が多くみられ、且つ利用者がゼロの旅客駅が多いというのは、かつて仮乗降場として使用されていたものが大半を占めていることにほかなりません。
一部は国鉄時代に正式な旅客駅に昇格しました。そして、道内の仮乗降場の大きな転機が訪れるのが国鉄分割民営化です。
道内に設置されていた仮乗降場のほとんどが旅客駅へ昇格しました。その昇格した一部の駅については、引き続き一部普通列車を通過する措置がとられたようですが、正式な旅客駅としたことで維持費もかかり、昨今のように簡単に廃止にすることができない風潮を生み出してしまいました。
なぜ元々の利用の少ない仮乗降場を正式な旅客駅へ昇格させたかというと、国鉄分割民営化によって国鉄本社の認可が不要になり、特段ルールが設けられておらず、容易に旅客駅への昇格が可能になったことが上げられます。管理者もよくわかりませんが、おそらくほかにも仮乗降場が時刻表に記載されていなかったことや、運賃計算方法にあると推測します。営業キロが設けられたことで正式な運賃計算が可能になったことも旅客駅へ昇格した理由の1つとして考えられます。
仮乗降場は日常的な利用者以外の者にとって、存在が全くわからない謎の駅でした。全国版の時刻表では、あくまで正式な旅客駅ではないため、一部を除いて掲載されていなかったようです。このような事情から、旅客駅へ昇格し、正式に時刻表に掲載することで利用者への負担を減らしたものと推測します。
仮乗降場から駅へ昇格した例が多いのが、宗谷本線や石北本線、留萌本線などです。特に宗谷本線では極端に利用の少ない駅を来年のダイヤ改正で廃止する方向で調整しています。管理者もまだ詳しく把握していませんが、おそらくそれら廃止候補の駅というのは、元々は仮乗降場として設置されていたものを、後に旅客駅へ昇格したものがほとんどだと思います。
これらの駅は主に運賃計算や時刻表への記載などへの理由から、正式な旅客駅として昇格したわけですが、昨今は利用実態はほぼゼロで、駅としての機能を有していない状況です。
宗谷本線でなぜ一気にローカル駅が廃止されなければならないのか、その理由は当記事で取り上げた古瀬駅を見ればよくわかります。そして、前身となる仮乗降場の内容も記載させていただいたことで、なぜ廃止にしなければならないのかが、当記事を閲覧していただくことでお分かりいただけると思います。
なので、国鉄時代に仮乗降場が多く設置されていなければ昨今のような旅客駅大量廃止にはならなかったはずです。少なからず周辺に人が住んでいた理由から設けられたわけですが、今思うとその判断基準はずさんだと言わざるを得ず、もはや解体されてしまったものの、旭川鉄道管理局に責任の一端があるとみています。その後始末をしているのが、昨今のJR北海道です。まさに経営破綻した北海道拓殖銀行(拓銀)の末期と同じですね。
最初の話題から逸れてしまいましたが、3月ダイヤ改正で廃止された古瀬駅の様子をお伝えしました。信号場兼仮乗降場として設けられていた駅として、管理者も仮乗降場として設置され、後に旅客駅へ昇格した例の1つを見物することができ、大変勉強になりました。道北方面ではそうした駅はまだまだ山ほどあります。いずれ訪問してお伝えできればと思っています。
コメントを数件いただいておりますが、本日夕方以降返事をしていきたいと思います。よろしくお願いします。
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実は3月のダイヤ改正で廃止された駅です。本来であれば、さよならイベント&セレモニーが実施される予定でしたが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、中止となってしまいました。釧網本線の南弟子屈駅も同線の運休によって最終日を迎えることができずに終了してしまいました。昨年度廃止された2駅については、何らかの形で無事に終わることができず、静かに幕を下ろしていきました。
南弟子屈駅は、快速「しれとこ摩周号」を除いて全ての普通列車が停車するのに対し、古瀬駅は秘境駅として知られ、普通列車も一部が通過する駅です。

午前中はほとんどの列車が停車せず、逆に午後は停車する列車が比較的多いです。オススメの訪問の仕方は、改正前の2526Dで15時頃に両方面から同駅に到着し、1時間13分後に後続の2528Dに乗って帯広・池田方面に抜ける方法です。このスケジュールで訪問した方が多く、待ち時間はシニアのベテラン鉄道ファンの方々と話をしながら時間を潰せるので、待合室がなくても天気が良ければあっという間に時間が過ぎます。周辺には何もなく、駅舎も存在しないため、悪天候時は本当に訪問を避けた方が良い駅でした。
実は管理者も雑誌等で確認していたので、実際にどのような駅なのかが気になっていました。そして、ダイヤ改正前に行ってきたので紹介します。

廃止前なので余計に手は加えられず、駅名標は傾いていました。



元々は信号場から駅へ昇格したため、2面2線の相対式ホームをもつ駅です。駅がずれて配置される千鳥配置式となっており、道路は1線スルー側のみに設けられており、駅前の道路から構内踏切で結んでいました。


普通列車の到着シーンです。確認した限りでは、当日は10人程度が下車しました。


古瀬駅前の道です。廃止前は車の往来も多く、道ができていたと思いますが、ほとんど利用がいない場合の冬季や夏季はどのような道なのでしょう?おそらく農道のような感じだと思いますが、地図で調べていると、生活道路というわけではなく、古瀬駅に用がなければ、使う必要のない道でもあります。
このように、周囲は森林に囲まれている中でポツリと存在する駅です。少し離れた場所に酪農家が数件確認されますが、おそらくそのような状況であれば、日頃の利用者は限りなくゼロに近かったと予想します。まぁ、不必要だからこそ廃止になるんですけどね。
上記のとおり、元々は信号場として機能していた同駅は、仮乗降場の役割を兼ねて1954年に古瀬信号場として開設しました。国鉄分割民営化とともに駅へ昇格し、古瀬駅となります。根室本線で仮乗降場から駅へ昇格した例は珍しいかもしれません。
ここで仮乗降場について改めて紹介しましょう。以前掲載したコラム記事の内容をほぼそのまま以下に掲載します。
仮乗降場(かりじょうこうじょう)とは、国鉄における停車場の形態のひとつです。一般の鉄道駅が国鉄本社の認可に基づいて設置されていたのに対し、仮乗降場は地方の鉄道管理局の判断のみで設けることができました。
駅を設けるほどのない場所で、利用者の利便性を確保するために設置されたものです。駅を設けるのには多額の資金や、各種の許認可等煩雑な手続き等が必要なのに対し、仮乗降場は低資金で簡単に設置することができました。
そのほとんどが北海道で設置されており、その他の地域には数えるほどしか設置されていなかったようです。
なぜ北海道で仮乗降場の設置が進んだかというと、北海道の場合は人口密度が低く、本格的に鉄道駅を設置できる比較的大きな集落が少ないことから、駅間距離が比較的長く、利用者の居住地と駅の距離も遠くなりがちな状況にありました。そのため、通勤・通学や高齢者などの公共交通手段を必要とする利用者に対して改善が必要な状況にありました。
加えて、当時は道路などのインフラも発達しておらず、冬季に道路が遮断された場合における公共交通手段確保の点からも、鉄道によるアクセスの向上が求められていました。
このように、正式の駅を設置するほどの利用はありませんが、無視できない需要がある場所に道内では容易に設置できる仮乗降場設置が進んでいきました。
仮乗降場の設置基準は、北海道内の各鉄道管理局によりばらつきがありました。特に、旭川鉄道管理局(現在のJR北海道旭川支社に相当)が設けた仮乗降場の数は、他の道内の各管理局管轄の路線と比べて圧倒的に多いです。これは政治的背景があるのか、単に無計画で仮乗降場の設置が推進されたのかは不明ですが、単行列車がようやく停車できるような板張りホームと粗末な標柱、それに数人が入れるかどうかの待合室が設置されている旅客駅は現在の旭川支社管内の路線に多くあります。宗谷本線や石北本線、留萌本線の駅でそうした構造が多くみられ、且つ利用者がゼロの旅客駅が多いというのは、かつて仮乗降場として使用されていたものが大半を占めていることにほかなりません。
一部は国鉄時代に正式な旅客駅に昇格しました。そして、道内の仮乗降場の大きな転機が訪れるのが国鉄分割民営化です。
道内に設置されていた仮乗降場のほとんどが旅客駅へ昇格しました。その昇格した一部の駅については、引き続き一部普通列車を通過する措置がとられたようですが、正式な旅客駅としたことで維持費もかかり、昨今のように簡単に廃止にすることができない風潮を生み出してしまいました。
なぜ元々の利用の少ない仮乗降場を正式な旅客駅へ昇格させたかというと、国鉄分割民営化によって国鉄本社の認可が不要になり、特段ルールが設けられておらず、容易に旅客駅への昇格が可能になったことが上げられます。管理者もよくわかりませんが、おそらくほかにも仮乗降場が時刻表に記載されていなかったことや、運賃計算方法にあると推測します。営業キロが設けられたことで正式な運賃計算が可能になったことも旅客駅へ昇格した理由の1つとして考えられます。
仮乗降場は日常的な利用者以外の者にとって、存在が全くわからない謎の駅でした。全国版の時刻表では、あくまで正式な旅客駅ではないため、一部を除いて掲載されていなかったようです。このような事情から、旅客駅へ昇格し、正式に時刻表に掲載することで利用者への負担を減らしたものと推測します。
仮乗降場から駅へ昇格した例が多いのが、宗谷本線や石北本線、留萌本線などです。特に宗谷本線では極端に利用の少ない駅を来年のダイヤ改正で廃止する方向で調整しています。管理者もまだ詳しく把握していませんが、おそらくそれら廃止候補の駅というのは、元々は仮乗降場として設置されていたものを、後に旅客駅へ昇格したものがほとんどだと思います。
これらの駅は主に運賃計算や時刻表への記載などへの理由から、正式な旅客駅として昇格したわけですが、昨今は利用実態はほぼゼロで、駅としての機能を有していない状況です。
宗谷本線でなぜ一気にローカル駅が廃止されなければならないのか、その理由は当記事で取り上げた古瀬駅を見ればよくわかります。そして、前身となる仮乗降場の内容も記載させていただいたことで、なぜ廃止にしなければならないのかが、当記事を閲覧していただくことでお分かりいただけると思います。
なので、国鉄時代に仮乗降場が多く設置されていなければ昨今のような旅客駅大量廃止にはならなかったはずです。少なからず周辺に人が住んでいた理由から設けられたわけですが、今思うとその判断基準はずさんだと言わざるを得ず、もはや解体されてしまったものの、旭川鉄道管理局に責任の一端があるとみています。その後始末をしているのが、昨今のJR北海道です。まさに経営破綻した北海道拓殖銀行(拓銀)の末期と同じですね。
最初の話題から逸れてしまいましたが、3月ダイヤ改正で廃止された古瀬駅の様子をお伝えしました。信号場兼仮乗降場として設けられていた駅として、管理者も仮乗降場として設置され、後に旅客駅へ昇格した例の1つを見物することができ、大変勉強になりました。道北方面ではそうした駅はまだまだ山ほどあります。いずれ訪問してお伝えできればと思っています。
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