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北海道の鉄道の内容を中心に自身の知識も含めながらブログの記事を日々更新しています。札幌市在住のため、主に札幌圏を走行する列車についての話題です。

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85年の歴史に幕を下ろした札沼線の北海道医療大学~新十津川間

5月6日をもって札沼線の北海道医療大学~新十津川間が廃止となりました。

新型コロナウィルス感染拡大防止のため、当初計画されていた4両編成や指定席での運行は取り止められ、急遽4月16日の20時頃、唐突に翌17日の新十津川発の5426Dをもって営業運転を終了する発表がされました。

これよりも数時間前に発表されれば、飛行機の予約に間に合い、本州方面からの来道もギリギリ可能ですが、20時頃発表となれば、基本的には本州方面からは来道することが難しくなります。航空機の最終便に間に合わない時間帯に発表するという、綿密な計画のもとで本日の最終営業が実施されたと思います。

なので基本的には、道民のみでラストの営業運転を見送った形となり、本州方面からは、事前に札沼線を訪れる計画を立てていなければラストランを見送ることは難しい状況にありました。この計画が功を奏し、沿線も特に激混みにはならず、比較的寂しい中でのラストランを迎えたようです。

本来であれば、数日前に営業運転が終了し、5月6日の運行をもって廃止される予定でしたが、4月17日から北海道医療大学~新十津川間では列車が走ることはなく、駅の営業だけされ続けていました。5月6日の営業最終日まで駅の見学等は実施できる状態で開放されていましたが、並行する国道275号線ではスピード違反の取り締まりが多くされていることや、定期的な駅での巡回が実施され、いつもより警備体制が強化されていたと思います。

後日お伝えしますが、正式に営業終了となった現在では、北海道医療大学駅前に車止めが新たに設置され、各駅も立ち入り禁止の柵が設けられ、駅舎の中にも入ることができなくなっています。駅名標も順次取り外され、踏切も一部を除いて撤去されており、ようやく廃線直後の姿に変わりつつありました。

札沼線の北海道医療大学~新十津川間が廃止されても、まだ桑園~北海道医療大学間が残っています(列車は札幌駅発着)。同区間は電化区間で列車の本数も多いです。こちらについては廃止されることはまずあり得ません。路線の由来からはかなりかけ離れてしまっていますが、札沼線はこれからも歴史を刻み続けます。

札沼線は、札幌の「札」と沼田の「沼」をとって名付けられました。沼田とは、石狩沼田駅のことを指します。同駅は留萌本線の駅として現在も営業していますが、元々札沼線は札幌から石狩沼田までを結んでいました。

題名に85年の歴史・・・と記載していますが、これは北側と南側で双方で線路が伸びていき、最終的に全通してからの年数です。歴史としては、1931年に石狩沼田~中徳富(現在の新十津川駅)間で最初に開業しました。後に札幌まで結ばれることから、札沼北線の名称がつけられました。

1934年には中徳富~浦臼間が延伸開業し、少し遅れて桑園~石狩当別間も開業します。後者については札沼南線と名付けられました。

1935年に残る石狩当別~浦臼間が開業します。札沼北線と札沼南線がつながったことで、路線名称を札沼線に変更し、この名称が現在も使われています。この1935年から数えて85年を迎えた今年の5月6日をもって北海道医療大学~新十津川間が廃止されました。

石狩当別~北海道医療大学間を除き、現在残っているのは当初札沼南線として開業した路線であり、札沼北線として当初開業していった区間については、5月6日をもって正式に廃止されました本当の開業当初から営業していた現在の新十津川駅が廃止されたことで、札沼線の歴史を辿るという意味で、本当に最初から設置された駅については消滅したことになります。

5月6日まで残存していた区間については、1970年代頃から沿線人口の過疎化が急速に進み、並行する国道275号線の道路整備、自家用車の普及も進んだことで利用は急激に減少していきました。

札沼線といえば、太平洋戦争中の不要不急路線として休止に追い込まれた過去もあります。それが石狩当別~石狩沼田間であり、営業再開した後は、浦臼~石狩沼田間では利用が振るわず赤字が拡大する一方でした。昨今の新型コロナウィルスもこうして感染前の利用実態に戻らない列車や路線が出てくるでしょう。

1968年に国鉄諮問委員会によって「赤字83線」を発表し、新十津川~石狩沼田間がこれに含まれました。いわゆる「使命を終えた」と判断されてしまったわけです。道内でも地方ローカル線の廃止はこの時期はまだ珍しく、道内ではほかに根北線がこれに該当していました。廃止区間延長が34.9kmとされ、廃止距離としては全国で最長であったとされています。赤字83線の取り組みも札沼線の新十津川~石狩沼田間の廃止で終わりました。

1963年の時点で営業係数(100円の営業収入を得るのにどれだけの営業費用を要するかを表す指数)が292となっていました。現在北海道に残存する地方ローカル線の営業係数よりもまだやさしい数字です。これよりも悪い数字の路線や区間はあります。島田修社長も言及していますが、現在のJR北海道が行っている地方ローカル線の見直しについて、国鉄時代の見直し基準から比べると大幅に基準を下げています。

1968年の時点で営業係数を仮に500と考えても、国はその時点で「使命を終えた」と判断したわけですから、時代は変わったとしてもそれを下回る路線や区間は北海道にあるわけですから、北海道に残存するローカル線のそのほとんどが「使命を終えた」と判断せざるを得ません。

話題が脱線してしまいましたが、一部区間の不要不急路線の指定等、苦難を乗り越えて札沼北線、札沼南線時代から数えて89年、全通してから85年の歴史があります。そしてこの度、現在の末端区間でもあった北海道医療大学~新十津川間が廃止されました。

当別町の一部の駅では、1日の平均乗降者数が10人以下のようでしたが、おそらく新十津川に近い場所については、利用者は限りなくゼロだったと思います。全ての駅を訪問してきましたが、やはり、「なぜこのような場所に駅があるのか?」と、管理者も目を疑う場所に設置されている駅もあるので、本数を含めて公共交通としての機能を果たしていない区間もありました。廃止に伴って代替バスですら設定されなかった区間もあるので、そうした区間については利用者がほぼいなかった実態が伺えるでしょう。

沿線は札沼線を残す理由として、札幌直通にこだわっていました。ですが実態は、生活圏に滝川市や砂川市があり、距離的にも札幌よりも圧倒的に近いため、札幌へ直通する路線とはいえ、札幌まで利用する利用者は北側に行けば行くほどいなかったと思います。北上すればするほど函館本線に近づいていきます。新十津川町と滝川市はおよそ3km程度しか離れていません。滝川市役所や駅前のスマイルビルも下徳富あたりから天気が良ければ見れます。それぐらい近いのです。もはや鉄道路線として残す必要もありませんでした。







札沼線の末端区間には同区間専用のキハ40形400番台が充当されていました。2両しか存在せず、JR北海道色と比べて車体がホワイト基調であり、乗降扉が萌黄色に塗装されています。2両しか在籍していません。

豪雪地帯で使用するため、機関はN-DMF13HZD (450 PS/2,000 rpm) 、変速機は直結2段とし、オリジナルのキハ40と比較して2倍程度の出力を得ています。延命化は実施されておらず、営業終了後は苗穂運転所(札ナホ)の裏手に置かれているようです。性能的に重宝できそうですが、札沼線の末端区間廃止によってお役御免になる可能性が高そうです。

予備車両がないため、3枚目の写真のように、車両の検査を伴う場合や末期のように車両を増結する際は700番台車が運用に入ったりします。

同車が投入される以前、札沼線の末端区間ではキハ54形500番台やキハ53形500番台が使用されたようです。前者は国鉄分割民営化前後で特に見られたようですね。後者がキハ40形400番台に置き換えられました。

高出力車でありながら1両単位で運行できることで重宝されたようですが、調べているとワンマン化工事が未施工だったようで、早期に廃車となったようです。

新型コロナウィルスの影響で、営業最終日まで営業運転を実施せずに途中で打ち切られた、過去に例をみない終わり方をした札沼線末端区間。特に北側の新十津川に近いエリアについては、駅舎やホームは順次解体される計画で、場所によって水田地帯が分断されていることから、線路を撤去して基幹産業の稲作の振興を進めるため、線路跡地を水田に戻す計画がされているようです。また、石狩月形駅周辺ではトロッコへの再活用も検討しているようですね。

管理者も1つだけ撮り残したことがあるので、ドライブがてらもう1回だけ沿線を訪問してみようと思います。










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コメント
9392: by シニアパートナー on 2020/05/11 at 15:05:14 (コメント編集)

札沼線の一部廃止は、当初の国鉄案では浦臼-石狩沼田間だったのが、何百回もの協議の末新十津川に落ち着いたと記憶しています。国鉄赤字83線のうち、1970年代に廃止できたのは全国でも少数でしたね。1980年代になると国鉄負債が大きな社会問題となり、国鉄民営化前後に廃止されていったのはご承知の通りです。

今回の廃止区間を数値としてみると、70年代真っ先に廃止されても致し方ないレベルです。また数値として考えても現在の基準は緩くなっていると言えます。国鉄赤字線廃止基準を真面目に当てはめた場合、北海道に残る路線はごくわずかとなります。鉄道を残さなければならない公共性(鉄道の役割)が本当にあるのかどうか。コロナが落ち着いたら、自治体・JRは真剣に協議してほしいと思いますね。

9394: by 管理人 on 2020/05/13 at 08:05:17

>>「シニアパートナー」さん、コメントありがとうございます。

当時にしては珍しく存廃問題について何百回と沿線と話し合いをしたと聞いています。

人口が右肩上がりだった時代にも関わらず、この時点で営業係数がおそらく500未満でしたから、当時の時点で残す必要はほぼ無かったと思います。国鉄による基準にあてはめると、北海道だとそのほとんどの鉄路はなくなってしまいます。いかにJR北海道の基準が当時よりも緩いかがわかります。

コロナ収束後は世の中が変わります。公共交通のみならず、さまざまな分野で日本は見直しが迫られると思います。北海道の鉄道についても見直しが進み、より良い方向へ向かえばいいですね。

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