【コラム】高速化に突き進んだ裏で放置され続けた旧仮乗降場
コラム - 2020年12月04日 (金)
今回は仮乗降場について取り上げていきましょう。
閲覧する皆さんは、仮乗降場(かりじょうこうじょう)というものをご存知でしょうか??
本州ではほとんど設置された事例がないはずです。ほぼほぼ北海道特有といっても過言ではないでしょう。
宗谷本線では、現在1日あたりの乗車人員が3人以下の29駅を対象に、来春のダイヤ改正までに存続するか、廃止するかを調整しています。
対象駅は・・・
南比布、北比布、蘭留、塩狩、東六線、北剣淵、下士別、瑞穂、日進、北星、智北、南美深、紋穂内、恩根内、豊清水、天塩川温泉、咲来、筬島、佐久、歌内、問寒別、糠南、雄信内、安牛、南幌延、上幌延、下沼、徳満、抜海の29駅です。
このうち、一部の駅では通学等で使用している駅もあり、頭を悩ませています。それにしても、1日の利用が3人以下となる駅がこれほどまでに多いとは驚きですよね。
中には、全く利用されていない駅もあるはずです。
29駅は旭川駅から近い順に記載しました。名寄駅は瑞穂と日進の間になります。後者は名寄駅の隣の駅です。それでも利用者が1日に3人以下ということで、名寄以北は急に人口希薄地帯になります。列車の本数も名寄以北は極端に減り、先日のように普通列車がヒグマに衝突した際は、夕方以降の便までほぼ全て運休となったり、上りの特急「宗谷」が運休する場合は、後続に使用する普通列車の車両を旭川駅までの代走に充て、従来使用するはずだった普通列車を運休としたりするなど、かなりめちゃくちゃな対応がされることもあります。
それだけ普通列車も不要な存在なのかもしれません。
これら29駅の中に、元々仮乗降場だったものが国鉄分割民営化等の際などに旅客駅に昇格しています。現在は仮乗降場というものはなく、国鉄分割民営化までに廃止されているか、旅客駅に昇格しているかのいずれかになります。
ここで仮乗降場について説明します。
仮乗降場とは、国鉄における停車場の形態のひとつです。一般の旅客駅が国鉄本社の認可に基づいて設置されているのに対し、仮乗降場は地方の鉄道管理局の判断のみで設けることができました。
駅を設けるほどのない場所で、利用者の利便性を確保するために設置されたものです。駅を設けるのには多額の資金や、各種の許認可等煩雑な手続き等が必要なのに対し、仮乗降場は低資金で簡単に設置することができました。
そのほとんどが北海道で設置されており、その他の地域には数えるほどしか設置されていなかったようです。
なぜ北海道で仮乗降場の設置が進んだかというと、北海道の場合は人口密度が低く、本格的に鉄道駅を設置できる比較的大きな集落が少ないことから、駅間距離が比較的長く、利用者の居住地と駅の距離も遠くなりがちな状況にありました。そのため、通勤・通学や高齢者などの公共交通手段を必要とする利用者に対して改善が必要な状況にありました。
加えて、当時は道路などのインフラも発達しておらず、冬季に道路が遮断された場合における公共交通手段確保の点からも、鉄道によるアクセスの向上が求められていました。
このように、正式の駅を設置するほどの利用はありませんが、無視できない需要がある場所に道内では容易に設置できる仮乗降場設置が進んでいきました。北海道の場合、広大な農地に民家が点在しており、その点在する民家の方々の利便を確保するために設置されたのです。
仮乗降場の設置基準は、北海道内の各鉄道管理局によりばらつきがありました。特に、旭川鉄道管理局(現在のJR北海道旭川支社に相当)が設けた仮乗降場の数は、他の道内の各管理局管轄の路線と比べて圧倒的に多いです。これは上述のとおり、人口密度が低く、広大な農地を設けている道北地域では、集落が点在していたことが大きな理由だと思われます。そうした地域の利便を確保するために設置されたのです。
単行列車がようやく停車できるような板張りホームと粗末な標柱、それに数人が入れるかどうかの待合室が設置されている旅客駅は現在の旭川支社管内の路線に多くあります。宗谷本線や石北本線、留萌本線の駅でそうした構造が多くみられ、且つ利用者がゼロの旅客駅が多いというのは、かつて仮乗降場として使用されていたものが大半を占めていることにほかなりません。
一部は国鉄時代に正式な旅客駅に昇格しました。そして、道内の仮乗降場の大きな転機が訪れるのが国鉄分割民営化です。道内に設置されていた仮乗降場のほとんどが建て替えられることなくそのまま旅客駅へ昇格しました。一部の駅については、引き続き一部普通列車を通過する措置がとられたようですが、正式な旅客駅としたことで維持費もかかり、昨今のように簡単に廃止にすることができない風潮を生み出してしまいました。
なぜ元々の利用の少ない仮乗降場を正式な旅客駅へ昇格させたかというと、国鉄分割民営化によって国鉄本社の認可が不要になり、特段ルールが設けられておらず、容易に旅客駅への昇格が可能になったことが上げられます。おそらくほかにも仮乗降場が時刻表に記載されていなかったことや、運賃計算方法にあると推測します。
日常的な利用者以外にとって、仮乗降場は存在が全くわからない謎の駅でした。全国版の時刻表では、扱い上正式な旅客駅ではないため、仮乗降場は一部を除いて掲載されていなかったようです。このような事情から、旅客駅へ昇格し、正式に時刻表に掲載することで利用者への負担を減らしたものと推測します。
また、仮乗降場はあくまで地方鉄道管理局の判断により設けられたものであり、国鉄当局の設置した正式な旅客駅ではありません。このため、運賃計算上必要な営業キロを設定することが難しく、運賃は仮乗降場で降りる場合だと次の旅客駅まで、仮乗降場から乗る場合は、その手前の旅客駅からの営業キロでそれぞれ計算されていました。要するに、正式な運賃制度が導入されていなかったのです。
例えば、道内で国鉄分割民営化直前に廃止された士幌線内にあった電力所前仮乗降場は、少し離れて位置する黒石平駅の代替として設置されたことから、運賃は黒石平駅と同一とみなされていたようです。
さらに、この事例は特殊であり、付近には糠平ダムと糠平発電所の社宅がありましたが、付近には勾配があり、それを避けるかのように黒石平駅が設けられました。しかし、付近の住民への利便を図るべく、住宅付近には別に電力所前仮乗降場が設けられたのです。
同仮乗降場については、下り勾配で列車の発車に支障が出ない帯広方面の列車に限定され、どの列車も黒石平駅を通過し、逆に糠平・十勝三股方面は従来どおり黒石平駅に停車し、電力所前仮乗降場は通過するという珍しい運行形態でした。しかし、時刻表上は帯広方面も糠平・十勝三股方面いずれも黒石平駅に停車するよう記載されていたようです。
話題が逸れてしまいましたが、こうしてかつての仮乗降場を正式な旅客駅とすることで営業キロも設けられ、正式な運賃制度が設けられたことでしょう。
今回は管理者が何度か確認している宗谷本線の北比布駅を取り上げます。同駅も存廃に揺らぐ旧仮乗降場から昇格した旅客駅です。一部普通列車は通過します。

ホームは1両分というところでしょうか。

停車前の様子を。これでも旅客駅なんですよ。本州の方からすると「えっ!?」と思う方もいるかもしれません。
実際に、同じ三島会社の四国や九州でこうしたローカル駅を検索してみると、こうした殺風景な駅はなかなか出てきませんでした。管理者の調べ方に不備があったのでしょうか?九州などは宗太郎駅などの秘境駅も立派な駅舎が建っていますよね。
実はWikipediaで調べると面白く、北海道の駅や仮乗降場だった場所では、1977年または1978年の当時の様子を写真で見ることができるのです。管理者はほとんど見ましたが、そうした写真を見ると、北海道で鉄道が公共交通が必要なのかどうか、改めて考えさせられますよ。

北比布駅のWikipediaには、1977年当時の写真が掲載されていました。周囲500メートルの様子ですが、その当時でも既に民家はまばらです。でも、特定地方交通線に指定され、消えていった路線の仮乗降場と比較すると、これでもマシな方ですよ。

では、グーグルアースで、40年以上経過した現在の様子。こちらはもっと視野を広げて周囲2km圏内。民家が1軒減っていると思います。北比布駅周辺については、ほとんど変化はないようです。
しかし、基本的に駅周辺であっても、移動手段として自家用車を利用する場合がほとんどです。周囲にスーパーやショッピングセンターがないため、おそらく、旭川などの市街地へ行き、一度に数日分あるいは数週間分の買い物をするはずです。鉄道を利用する場合、両手で持てる範囲の荷物しか調達できません。
しかし、自家用車があれば、大量の荷物を一度に運ぶことができます。そして、鉄道は列車が来ないと移動できませんが、自家用車は各々都合に合わせて自由に移動することができます。市街地から距離がある場合、北海道では鉄道が付近を通っていようと、圧倒的に自家用車利用が多いのが特徴です。
おそらく周辺住民は学生利用がない限り、ほとんど使われていないでしょう。存廃問題が出た際も北比布駅については、特にアクションはなかったと思います。
道北地区は、北海道でも有数の人口希薄地帯で、宗谷総合振興局、留萌振興局、塩狩峠以北の上川振興局を合わせた人口は20万人弱であり、これは、北海道の人口の4%前後になります。
仮乗降場付近の様子をみていると、悲惨だったのがやはり道北地区の路線。管理者が驚いた仮乗降場の姿を以下で少し紹介します。

深名線の新成生(しんなりう)駅。現在は廃駅ですが、国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格しました。隣は深名線の拠点でもあった幌加内駅ですが、写真のとおり、利用者はほとんどいないような閑静とした駅だったと思います。1992年度の1日の乗降客数は6人というデータがあります。

次に、名寄本線の班渓(ぱんけ)駅。こちらも現在は廃駅ですが、国鉄分割民営化と同時に臨時駅となり、同年末から正式に常設駅となりました。
戦後の開拓者が入植していたようですが、1950年代には冷害を理由に離農が始まり、一時林業関係者も使用していたようですが、1970年代に入ると、周辺はほぼ無人地帯となっていたようです。

3つ目は例外中の例外で、天北線の宇遠内(うえんない)駅。隣は今も現役の南稚内駅。宇遠内駅も国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格しました。
1977年の仮乗降場時代から周辺に民家が多く確認されました。理由は定かでありませんが、設置された当初は道内のほかの仮乗降場のように殺風景だったのかもしれませんが、郊外の宅地化によって駅周辺に住宅が増えていったのかもしれませんね。

次も同じ天北線の周磨(しゅうまろ)駅。こちらも国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格しました。
こちらは周辺に民家が1軒?2軒?しかありません。現在は原野になっており、駅跡は確認できないようです。

次は、士幌線の新士幌仮乗降場です。こちらは国鉄分割民営化直前で士幌線が廃止されているので、仮乗降場のまま終了しました。
こちらも周辺に民家がほとんどない殺風景の中に設けられ、1970年代終盤の頃は、1日3本しか列車が停車しなかったようです。

こちらは上記で少し紹介した同じ士幌線の電力所前仮乗降場です。帯広方面の列車のみが停車する仮乗降場でした。
周辺に集落がありますが、1980年代に入ると、これら糠平ダムや電力所関係の社宅は上士幌町中心部へ移動したようで、廃止時はほぼ無人地帯となっていたようです。
士幌線自体も糠平~十勝三股間は、1978年12月を最後にバスによる代行輸送になります。理由は沿線人口の減少でした。時刻表には引き続き十勝三股駅まで掲載されていたようですが、結局それ以降は列車が走ることはなく、事実上廃線になっていたようです。士幌線では、北へ向かえば向かうほど極端に過疎化が進行していたようですね。

次は、興浜南(こうひんなん)線の雄武共栄(おむきょうえい)仮乗降場です。興浜南線そのものが国鉄分割民営化を前に廃止されたことにより、同仮乗降場も駅に昇格することなく廃止になりました。
1978年時点の写真でも周辺は無人地帯です。近隣集落に共栄が使用されていたようです。よく仮乗降場でも残っていたと感心してしまうほどです。

次は、オホーツク海に沿うように走っていた湧網(ゆうもう)線の東富岡仮乗降場です。湧網線が国鉄分割民営化直前に廃止となっているので、旅客駅に昇格されることなく廃止になりました。
末期は1日に7本しか停車せず、周辺は原野が広がり、1kmほど離れた場所に民家が点在していたようです。これもよく生き残っていたと感心してしまう仮乗降場の1つです。

最後は、道内の路線の中でも比較的早い時期に廃止された白糠線の共栄仮乗降場です。
当時既に周辺は無人地帯になっており、こちらも白糠線が廃止となるまでよく生き残っていたと感心してしまう仮乗降場です。
いかがだったでしょうか?
既に廃止になった路線のかつての仮乗降場の様子を紹介しました。現役路線でここまでの無人地帯はあまりないと思いますが、こうした風景をみると、改めて鉄道という大量輸送を利点とする公共交通が本当に必要なのかを改めて考えさせられます。
北海道の鉄道は、道路などのインフラが整備されていないことを理由に、鉄道敷設法によって北海道の各拠点同士を結ぶ路線として道内でさまざまな路線が計画されていました。その理由のほとんどが、林業、農業、漁業、石炭産業の各輸送を支えるために計画されています。なので、人の往来は地方では二の次という特殊な条件で鉄道が生まれたということもポイントです。
しかし実際は戦時下の影響で不要不急路線に指定されて休止となったり、計画が頓挫してそのほとんどが未開業となり、その間に並行して国道などが整備されるとトラック輸送が爆発的に普及し、一方で赤字路線は特定地方交通線に指定されて廃止となっていきました。本来収益が見込めるよう地方都市同士を結ぶ路線敷設計画が大半でしたが、未成線区間が多くなったことで単なる赤字ローカル線となり、各産業も徐々に衰退していきました。本来の鉄道の使命を果たすことができなかったのです。
北海道では一部が国鉄分割民営化後も残りましたが、そのほとんどが路線距離が長く、廃止計画が一時的保留になった路線や、深名線のように冬季における代替交通機関の確保が難しいこと、上砂川支線のように函館本線の一部に組み込まれたことで生き残った路線・区間でした。そうした状況下であっても、利用は著しく低下し、深名線のようにワンマン化対応がされていないことを理由に、終日車掌が乗務しなければならないローカル線もあり、赤字路線の整理は喫緊の課題でした。
そして、一時期高速化に燃えたJR北海道も、再び赤字路線の整理に着手し始めました。後日お伝えしますが、日高本線の鵡川~様似間も廃止が決まり、留萌本線もまず石狩沼田~留萌間で存廃問題が出ています。そして、一向に復旧の兆しが見えない根室本線の東鹿越~新得間。こちらも士幌線の末端区間のようにもう列車が走らずに終わってしまうかもしれませんね。
新型コロナウィルスの影響で、あのJR東日本が4180億円の赤字へ、JR西日本も2400億円の赤字に転落しています。そのような状況の中で、JR北海道だけ数百億円の支援を受けるというのは納得がいかないでしょう。こうした状況を機に、北海道の鉄道はさらなる見直しが迫られていることは言うまでもありません。
いきなり全部実施することは難しいです。とりあえず、今回は仮乗降場がどのような機能を果たし、そしてそこから昇格した駅のその後の様子をお伝えしました。現在もその多くが宗谷本線や留萌本線で残っているわけですから、それらの駅を廃止するだけでも、費用削減に貢献することは言うまでもありません。豪雪地帯になれば、あの小規模な駅でも百万単位で維持費がかかる(主に除雪費用)駅もありますから、そうした極端に利用の少ない駅は早期に決着をつけるべきなのです。
本来であれば、計画的に徐々に廃止していくべきでした。しかし、高速化一点に集中した結果、今回のような旧仮乗降場から昇格された利用の少ない駅の整理等が後回しにされ、それを一気に廃止しようとするから、批判が巻き起こっているのです。
元々北海道は産業とともに鉄道が発展してきました。その産業が衰退してしまっている以上、鉄道としての役目はほとんど終え、将来的には人口が長きにわたって約束される札幌圏や新幹線ぐらいしか残っていないかもしれませんね。
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閲覧する皆さんは、仮乗降場(かりじょうこうじょう)というものをご存知でしょうか??
本州ではほとんど設置された事例がないはずです。ほぼほぼ北海道特有といっても過言ではないでしょう。
宗谷本線では、現在1日あたりの乗車人員が3人以下の29駅を対象に、来春のダイヤ改正までに存続するか、廃止するかを調整しています。
対象駅は・・・
南比布、北比布、蘭留、塩狩、東六線、北剣淵、下士別、瑞穂、日進、北星、智北、南美深、紋穂内、恩根内、豊清水、天塩川温泉、咲来、筬島、佐久、歌内、問寒別、糠南、雄信内、安牛、南幌延、上幌延、下沼、徳満、抜海の29駅です。
このうち、一部の駅では通学等で使用している駅もあり、頭を悩ませています。それにしても、1日の利用が3人以下となる駅がこれほどまでに多いとは驚きですよね。
中には、全く利用されていない駅もあるはずです。
29駅は旭川駅から近い順に記載しました。名寄駅は瑞穂と日進の間になります。後者は名寄駅の隣の駅です。それでも利用者が1日に3人以下ということで、名寄以北は急に人口希薄地帯になります。列車の本数も名寄以北は極端に減り、先日のように普通列車がヒグマに衝突した際は、夕方以降の便までほぼ全て運休となったり、上りの特急「宗谷」が運休する場合は、後続に使用する普通列車の車両を旭川駅までの代走に充て、従来使用するはずだった普通列車を運休としたりするなど、かなりめちゃくちゃな対応がされることもあります。
それだけ普通列車も不要な存在なのかもしれません。
これら29駅の中に、元々仮乗降場だったものが国鉄分割民営化等の際などに旅客駅に昇格しています。現在は仮乗降場というものはなく、国鉄分割民営化までに廃止されているか、旅客駅に昇格しているかのいずれかになります。
ここで仮乗降場について説明します。
仮乗降場とは、国鉄における停車場の形態のひとつです。一般の旅客駅が国鉄本社の認可に基づいて設置されているのに対し、仮乗降場は地方の鉄道管理局の判断のみで設けることができました。
駅を設けるほどのない場所で、利用者の利便性を確保するために設置されたものです。駅を設けるのには多額の資金や、各種の許認可等煩雑な手続き等が必要なのに対し、仮乗降場は低資金で簡単に設置することができました。
そのほとんどが北海道で設置されており、その他の地域には数えるほどしか設置されていなかったようです。
なぜ北海道で仮乗降場の設置が進んだかというと、北海道の場合は人口密度が低く、本格的に鉄道駅を設置できる比較的大きな集落が少ないことから、駅間距離が比較的長く、利用者の居住地と駅の距離も遠くなりがちな状況にありました。そのため、通勤・通学や高齢者などの公共交通手段を必要とする利用者に対して改善が必要な状況にありました。
加えて、当時は道路などのインフラも発達しておらず、冬季に道路が遮断された場合における公共交通手段確保の点からも、鉄道によるアクセスの向上が求められていました。
このように、正式の駅を設置するほどの利用はありませんが、無視できない需要がある場所に道内では容易に設置できる仮乗降場設置が進んでいきました。北海道の場合、広大な農地に民家が点在しており、その点在する民家の方々の利便を確保するために設置されたのです。
仮乗降場の設置基準は、北海道内の各鉄道管理局によりばらつきがありました。特に、旭川鉄道管理局(現在のJR北海道旭川支社に相当)が設けた仮乗降場の数は、他の道内の各管理局管轄の路線と比べて圧倒的に多いです。これは上述のとおり、人口密度が低く、広大な農地を設けている道北地域では、集落が点在していたことが大きな理由だと思われます。そうした地域の利便を確保するために設置されたのです。
単行列車がようやく停車できるような板張りホームと粗末な標柱、それに数人が入れるかどうかの待合室が設置されている旅客駅は現在の旭川支社管内の路線に多くあります。宗谷本線や石北本線、留萌本線の駅でそうした構造が多くみられ、且つ利用者がゼロの旅客駅が多いというのは、かつて仮乗降場として使用されていたものが大半を占めていることにほかなりません。
一部は国鉄時代に正式な旅客駅に昇格しました。そして、道内の仮乗降場の大きな転機が訪れるのが国鉄分割民営化です。道内に設置されていた仮乗降場のほとんどが建て替えられることなくそのまま旅客駅へ昇格しました。一部の駅については、引き続き一部普通列車を通過する措置がとられたようですが、正式な旅客駅としたことで維持費もかかり、昨今のように簡単に廃止にすることができない風潮を生み出してしまいました。
なぜ元々の利用の少ない仮乗降場を正式な旅客駅へ昇格させたかというと、国鉄分割民営化によって国鉄本社の認可が不要になり、特段ルールが設けられておらず、容易に旅客駅への昇格が可能になったことが上げられます。おそらくほかにも仮乗降場が時刻表に記載されていなかったことや、運賃計算方法にあると推測します。
日常的な利用者以外にとって、仮乗降場は存在が全くわからない謎の駅でした。全国版の時刻表では、扱い上正式な旅客駅ではないため、仮乗降場は一部を除いて掲載されていなかったようです。このような事情から、旅客駅へ昇格し、正式に時刻表に掲載することで利用者への負担を減らしたものと推測します。
また、仮乗降場はあくまで地方鉄道管理局の判断により設けられたものであり、国鉄当局の設置した正式な旅客駅ではありません。このため、運賃計算上必要な営業キロを設定することが難しく、運賃は仮乗降場で降りる場合だと次の旅客駅まで、仮乗降場から乗る場合は、その手前の旅客駅からの営業キロでそれぞれ計算されていました。要するに、正式な運賃制度が導入されていなかったのです。
例えば、道内で国鉄分割民営化直前に廃止された士幌線内にあった電力所前仮乗降場は、少し離れて位置する黒石平駅の代替として設置されたことから、運賃は黒石平駅と同一とみなされていたようです。
さらに、この事例は特殊であり、付近には糠平ダムと糠平発電所の社宅がありましたが、付近には勾配があり、それを避けるかのように黒石平駅が設けられました。しかし、付近の住民への利便を図るべく、住宅付近には別に電力所前仮乗降場が設けられたのです。
同仮乗降場については、下り勾配で列車の発車に支障が出ない帯広方面の列車に限定され、どの列車も黒石平駅を通過し、逆に糠平・十勝三股方面は従来どおり黒石平駅に停車し、電力所前仮乗降場は通過するという珍しい運行形態でした。しかし、時刻表上は帯広方面も糠平・十勝三股方面いずれも黒石平駅に停車するよう記載されていたようです。
話題が逸れてしまいましたが、こうしてかつての仮乗降場を正式な旅客駅とすることで営業キロも設けられ、正式な運賃制度が設けられたことでしょう。
今回は管理者が何度か確認している宗谷本線の北比布駅を取り上げます。同駅も存廃に揺らぐ旧仮乗降場から昇格した旅客駅です。一部普通列車は通過します。

ホームは1両分というところでしょうか。

停車前の様子を。これでも旅客駅なんですよ。本州の方からすると「えっ!?」と思う方もいるかもしれません。
実際に、同じ三島会社の四国や九州でこうしたローカル駅を検索してみると、こうした殺風景な駅はなかなか出てきませんでした。管理者の調べ方に不備があったのでしょうか?九州などは宗太郎駅などの秘境駅も立派な駅舎が建っていますよね。
実はWikipediaで調べると面白く、北海道の駅や仮乗降場だった場所では、1977年または1978年の当時の様子を写真で見ることができるのです。管理者はほとんど見ましたが、そうした写真を見ると、北海道で鉄道が公共交通が必要なのかどうか、改めて考えさせられますよ。

北比布駅のWikipediaには、1977年当時の写真が掲載されていました。周囲500メートルの様子ですが、その当時でも既に民家はまばらです。でも、特定地方交通線に指定され、消えていった路線の仮乗降場と比較すると、これでもマシな方ですよ。

では、グーグルアースで、40年以上経過した現在の様子。こちらはもっと視野を広げて周囲2km圏内。民家が1軒減っていると思います。北比布駅周辺については、ほとんど変化はないようです。
しかし、基本的に駅周辺であっても、移動手段として自家用車を利用する場合がほとんどです。周囲にスーパーやショッピングセンターがないため、おそらく、旭川などの市街地へ行き、一度に数日分あるいは数週間分の買い物をするはずです。鉄道を利用する場合、両手で持てる範囲の荷物しか調達できません。
しかし、自家用車があれば、大量の荷物を一度に運ぶことができます。そして、鉄道は列車が来ないと移動できませんが、自家用車は各々都合に合わせて自由に移動することができます。市街地から距離がある場合、北海道では鉄道が付近を通っていようと、圧倒的に自家用車利用が多いのが特徴です。
おそらく周辺住民は学生利用がない限り、ほとんど使われていないでしょう。存廃問題が出た際も北比布駅については、特にアクションはなかったと思います。
道北地区は、北海道でも有数の人口希薄地帯で、宗谷総合振興局、留萌振興局、塩狩峠以北の上川振興局を合わせた人口は20万人弱であり、これは、北海道の人口の4%前後になります。
仮乗降場付近の様子をみていると、悲惨だったのがやはり道北地区の路線。管理者が驚いた仮乗降場の姿を以下で少し紹介します。

深名線の新成生(しんなりう)駅。現在は廃駅ですが、国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格しました。隣は深名線の拠点でもあった幌加内駅ですが、写真のとおり、利用者はほとんどいないような閑静とした駅だったと思います。1992年度の1日の乗降客数は6人というデータがあります。

次に、名寄本線の班渓(ぱんけ)駅。こちらも現在は廃駅ですが、国鉄分割民営化と同時に臨時駅となり、同年末から正式に常設駅となりました。
戦後の開拓者が入植していたようですが、1950年代には冷害を理由に離農が始まり、一時林業関係者も使用していたようですが、1970年代に入ると、周辺はほぼ無人地帯となっていたようです。

3つ目は例外中の例外で、天北線の宇遠内(うえんない)駅。隣は今も現役の南稚内駅。宇遠内駅も国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格しました。
1977年の仮乗降場時代から周辺に民家が多く確認されました。理由は定かでありませんが、設置された当初は道内のほかの仮乗降場のように殺風景だったのかもしれませんが、郊外の宅地化によって駅周辺に住宅が増えていったのかもしれませんね。

次も同じ天北線の周磨(しゅうまろ)駅。こちらも国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格しました。
こちらは周辺に民家が1軒?2軒?しかありません。現在は原野になっており、駅跡は確認できないようです。

次は、士幌線の新士幌仮乗降場です。こちらは国鉄分割民営化直前で士幌線が廃止されているので、仮乗降場のまま終了しました。
こちらも周辺に民家がほとんどない殺風景の中に設けられ、1970年代終盤の頃は、1日3本しか列車が停車しなかったようです。

こちらは上記で少し紹介した同じ士幌線の電力所前仮乗降場です。帯広方面の列車のみが停車する仮乗降場でした。
周辺に集落がありますが、1980年代に入ると、これら糠平ダムや電力所関係の社宅は上士幌町中心部へ移動したようで、廃止時はほぼ無人地帯となっていたようです。
士幌線自体も糠平~十勝三股間は、1978年12月を最後にバスによる代行輸送になります。理由は沿線人口の減少でした。時刻表には引き続き十勝三股駅まで掲載されていたようですが、結局それ以降は列車が走ることはなく、事実上廃線になっていたようです。士幌線では、北へ向かえば向かうほど極端に過疎化が進行していたようですね。

次は、興浜南(こうひんなん)線の雄武共栄(おむきょうえい)仮乗降場です。興浜南線そのものが国鉄分割民営化を前に廃止されたことにより、同仮乗降場も駅に昇格することなく廃止になりました。
1978年時点の写真でも周辺は無人地帯です。近隣集落に共栄が使用されていたようです。よく仮乗降場でも残っていたと感心してしまうほどです。

次は、オホーツク海に沿うように走っていた湧網(ゆうもう)線の東富岡仮乗降場です。湧網線が国鉄分割民営化直前に廃止となっているので、旅客駅に昇格されることなく廃止になりました。
末期は1日に7本しか停車せず、周辺は原野が広がり、1kmほど離れた場所に民家が点在していたようです。これもよく生き残っていたと感心してしまう仮乗降場の1つです。

最後は、道内の路線の中でも比較的早い時期に廃止された白糠線の共栄仮乗降場です。
当時既に周辺は無人地帯になっており、こちらも白糠線が廃止となるまでよく生き残っていたと感心してしまう仮乗降場です。
いかがだったでしょうか?
既に廃止になった路線のかつての仮乗降場の様子を紹介しました。現役路線でここまでの無人地帯はあまりないと思いますが、こうした風景をみると、改めて鉄道という大量輸送を利点とする公共交通が本当に必要なのかを改めて考えさせられます。
北海道の鉄道は、道路などのインフラが整備されていないことを理由に、鉄道敷設法によって北海道の各拠点同士を結ぶ路線として道内でさまざまな路線が計画されていました。その理由のほとんどが、林業、農業、漁業、石炭産業の各輸送を支えるために計画されています。なので、人の往来は地方では二の次という特殊な条件で鉄道が生まれたということもポイントです。
しかし実際は戦時下の影響で不要不急路線に指定されて休止となったり、計画が頓挫してそのほとんどが未開業となり、その間に並行して国道などが整備されるとトラック輸送が爆発的に普及し、一方で赤字路線は特定地方交通線に指定されて廃止となっていきました。本来収益が見込めるよう地方都市同士を結ぶ路線敷設計画が大半でしたが、未成線区間が多くなったことで単なる赤字ローカル線となり、各産業も徐々に衰退していきました。本来の鉄道の使命を果たすことができなかったのです。
北海道では一部が国鉄分割民営化後も残りましたが、そのほとんどが路線距離が長く、廃止計画が一時的保留になった路線や、深名線のように冬季における代替交通機関の確保が難しいこと、上砂川支線のように函館本線の一部に組み込まれたことで生き残った路線・区間でした。そうした状況下であっても、利用は著しく低下し、深名線のようにワンマン化対応がされていないことを理由に、終日車掌が乗務しなければならないローカル線もあり、赤字路線の整理は喫緊の課題でした。
そして、一時期高速化に燃えたJR北海道も、再び赤字路線の整理に着手し始めました。後日お伝えしますが、日高本線の鵡川~様似間も廃止が決まり、留萌本線もまず石狩沼田~留萌間で存廃問題が出ています。そして、一向に復旧の兆しが見えない根室本線の東鹿越~新得間。こちらも士幌線の末端区間のようにもう列車が走らずに終わってしまうかもしれませんね。
新型コロナウィルスの影響で、あのJR東日本が4180億円の赤字へ、JR西日本も2400億円の赤字に転落しています。そのような状況の中で、JR北海道だけ数百億円の支援を受けるというのは納得がいかないでしょう。こうした状況を機に、北海道の鉄道はさらなる見直しが迫られていることは言うまでもありません。
いきなり全部実施することは難しいです。とりあえず、今回は仮乗降場がどのような機能を果たし、そしてそこから昇格した駅のその後の様子をお伝えしました。現在もその多くが宗谷本線や留萌本線で残っているわけですから、それらの駅を廃止するだけでも、費用削減に貢献することは言うまでもありません。豪雪地帯になれば、あの小規模な駅でも百万単位で維持費がかかる(主に除雪費用)駅もありますから、そうした極端に利用の少ない駅は早期に決着をつけるべきなのです。
本来であれば、計画的に徐々に廃止していくべきでした。しかし、高速化一点に集中した結果、今回のような旧仮乗降場から昇格された利用の少ない駅の整理等が後回しにされ、それを一気に廃止しようとするから、批判が巻き起こっているのです。
元々北海道は産業とともに鉄道が発展してきました。その産業が衰退してしまっている以上、鉄道としての役目はほとんど終え、将来的には人口が長きにわたって約束される札幌圏や新幹線ぐらいしか残っていないかもしれませんね。
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