北海道で生き残っている583系
その他あれこれ - 2020年12月06日 (日)
特急「宗谷」と特急「サロベツ4号」に初めてキハ261系5000番台はまなす編成が充当された際に行ってきた場所。


トロッコ王国がある美深町仁宇布(にうぷ)。美深市街から地図で右にしばらく行くとある場所です。事前にWikipediaで調べていくと、人跡の稀な地帯をひたすら進むということで、到着するまでは不安でしたが、ナビの通りに進んでいくとたどり着けました。
施設については後日お伝えしますが、実は当日思いつきで急遽行きました。名寄駅周辺で特急「宗谷」撮影後、暇を潰そうと思っていましたが、キマロキを見物してきても、返しの特急「サロベツ4号」まで6時間弱暇だなぁ~と。
先日お伝えした宗谷線急行気動車風塗装車も旭川へ戻る列車についても撮影したかったので、どうしても名寄にとどまる必要があったのです。
ということで、急遽名寄駅前からレンタカーを借りて行くことができました。この話の続きは、後日トロッコ王国について別にお伝えしますのでその際に。


保存状態が悪いと聞いて行ってみると、厳冬期に備えた冬囲いが行われていました。おそらく、一度お色直しが実施されたと思いますが、車体の一部を確認すると、錆びていて残念な感じに。トロッコ王国は春先にリベンジですね。
車番は「サハネ581‐19」です。北海道で583系で運行した列車はありません。実は国鉄分割民営化と同時期に本州で使用していたサハネ581形(14~19・36)7両が渡道しています。そのうちの1両です。これらの車両は全て当時の青森運転所に所属していた車両です。
先頭車は渡道せず、しかも中間付随車という、今となっては何のために渡道してきたのか不明な点が多いです。おそらく、改造種車としての使用を想定したものだったと思いますが、車体の老朽化が進行していたことから、結局使われずに1990年に全車が廃車されます。

その中で、「サハネ581‐15」については、クリスタルエクスプレスに連結されていた2階建車両「キサロハ182-5101」の台車へ流用していました。同車は昨年まで活躍した車両ですから、現車は残存せずとも、その一部が車籍抹消から30年弱を経ても使用されていたわけですね。
管理者が事前に調べた限りでは、トロッコ王国に保存されている車両以外にも当時解体されなかった生き残りが道内にいたようです。保存先の場所は登別と鵡川です。
前者は「いなか村ログハウスゴルフ練習場」です。グーグルマップのストリートビューで調べてみると、最新版でもその存在を確認することができました。おそらくまだ残っていると思われ、いつかクラブをもって確認しに行きたいですね。
後者については、むかわ町の米原という場所のようです。国道235号線から見えるという情報もあります。写真を調べると、後に下のレールが撤去され、車体はひっくり返しに。その後は完全なスクラップと化しているようです。こちらも見に行ってみたいです。
ということで、車体が残っているのは美深の仁宇布と登別の2箇所だけだと思います。程度が良いのは、おそらくトロッコ王国の仁宇布の方ではないでしょうか?
ぜひともブルーシートがかかっていない真の姿を確認してみたいものです。実は管理者が583系の実車を確認したのは、今回が初めてです。
もちろんJR東日本にも在籍していた車両で、ときには「はつかり」や「かもしか」の代走として青森駅まで乗り入れていたと思います。但し、E751系と同様、青函トンネル通過に必要な保安装置(ATC-L型)は装備されていなかったと思われ、「はつかり」として道内へ渡道した実績もないと思います。北海道の目と鼻の先まで583系がやってきていたんですね。
同車も合理化を図って製作された車両です。客車列車として高速化に限界があったというのも背景の1つですが、需要増に伴い、車両基地の容量不足という問題が浮上しました。そこで、昼は昼行特急として、夜は寝台特急列車として昼夜兼用の車両として開発されました。
そうした合理化を図ったうえでの問題点も浮上しました。例えばボックスシートを採用していましたが、後々登場する特急車両は簡易リクライニングが装備されており、アコモの陳腐化が急速に進んだこと、座席や寝台転換時に作業員を多く要する(人的コスト負担)こと、空間上、中段と上段が窮屈になることなどが上げられます。そして、時代とともに優等列車の廃止や削減が進むと、今度は余剰車を大量に生み出し、普通列車用に改造されるグループも生まれ、主に東北、北陸、九州で活躍しました。
普通列車として改造しても、元々が特急用という性格から、定員数や2ドア車ということが欠点となり、主に通勤時間帯での使用を難しくしました。国鉄分割民営化後も活躍しましたが、北陸を除いて比較的早い段階で後継車両に置き換えられています。
最後はJR西日本とJR東日本で活躍し、前者は急行「きたぐに」や臨時列車、後者も臨時列車や代走などで使用されたと記憶しています。
管理者としては、国鉄形車両としては好きな車両であり、583系のノウハウを生かした車両が昨今においても非常に少ないですよね。285系のサンライズ車、トランスィート四季島、トワイライトエクスプレス瑞風が該当すると思います。一部は電車と気動車という違いはありますが、いずれも機関車に頼らない自走が可能な車両です。もっと自走可能な寝台列車が登場してもよかったと思いますが、夜行需要がそもそも減少していたことで、実現には至らなかったのでしょう。
また、広大な室内空間を持たせつつ、自走可能な機器を床下に搭載することは、現代の最新技術を駆使してもスペース上難しいのかもしれませんね。
ということで、話題は逸れてしまいましたが、北海道に渡道し、今もなお保存されている583系を紹介しました。今回は残念ながらブルーシートに覆われた状態での確認でしたが、いずれリベンジしたいと思います。
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トロッコ王国がある美深町仁宇布(にうぷ)。美深市街から地図で右にしばらく行くとある場所です。事前にWikipediaで調べていくと、人跡の稀な地帯をひたすら進むということで、到着するまでは不安でしたが、ナビの通りに進んでいくとたどり着けました。
施設については後日お伝えしますが、実は当日思いつきで急遽行きました。名寄駅周辺で特急「宗谷」撮影後、暇を潰そうと思っていましたが、キマロキを見物してきても、返しの特急「サロベツ4号」まで6時間弱暇だなぁ~と。
先日お伝えした宗谷線急行気動車風塗装車も旭川へ戻る列車についても撮影したかったので、どうしても名寄にとどまる必要があったのです。
ということで、急遽名寄駅前からレンタカーを借りて行くことができました。この話の続きは、後日トロッコ王国について別にお伝えしますのでその際に。


保存状態が悪いと聞いて行ってみると、厳冬期に備えた冬囲いが行われていました。おそらく、一度お色直しが実施されたと思いますが、車体の一部を確認すると、錆びていて残念な感じに。トロッコ王国は春先にリベンジですね。
車番は「サハネ581‐19」です。北海道で583系で運行した列車はありません。実は国鉄分割民営化と同時期に本州で使用していたサハネ581形(14~19・36)7両が渡道しています。そのうちの1両です。これらの車両は全て当時の青森運転所に所属していた車両です。
先頭車は渡道せず、しかも中間付随車という、今となっては何のために渡道してきたのか不明な点が多いです。おそらく、改造種車としての使用を想定したものだったと思いますが、車体の老朽化が進行していたことから、結局使われずに1990年に全車が廃車されます。

その中で、「サハネ581‐15」については、クリスタルエクスプレスに連結されていた2階建車両「キサロハ182-5101」の台車へ流用していました。同車は昨年まで活躍した車両ですから、現車は残存せずとも、その一部が車籍抹消から30年弱を経ても使用されていたわけですね。
管理者が事前に調べた限りでは、トロッコ王国に保存されている車両以外にも当時解体されなかった生き残りが道内にいたようです。保存先の場所は登別と鵡川です。
前者は「いなか村ログハウスゴルフ練習場」です。グーグルマップのストリートビューで調べてみると、最新版でもその存在を確認することができました。おそらくまだ残っていると思われ、いつかクラブをもって確認しに行きたいですね。
後者については、むかわ町の米原という場所のようです。国道235号線から見えるという情報もあります。写真を調べると、後に下のレールが撤去され、車体はひっくり返しに。その後は完全なスクラップと化しているようです。こちらも見に行ってみたいです。
ということで、車体が残っているのは美深の仁宇布と登別の2箇所だけだと思います。程度が良いのは、おそらくトロッコ王国の仁宇布の方ではないでしょうか?
ぜひともブルーシートがかかっていない真の姿を確認してみたいものです。実は管理者が583系の実車を確認したのは、今回が初めてです。
もちろんJR東日本にも在籍していた車両で、ときには「はつかり」や「かもしか」の代走として青森駅まで乗り入れていたと思います。但し、E751系と同様、青函トンネル通過に必要な保安装置(ATC-L型)は装備されていなかったと思われ、「はつかり」として道内へ渡道した実績もないと思います。北海道の目と鼻の先まで583系がやってきていたんですね。
同車も合理化を図って製作された車両です。客車列車として高速化に限界があったというのも背景の1つですが、需要増に伴い、車両基地の容量不足という問題が浮上しました。そこで、昼は昼行特急として、夜は寝台特急列車として昼夜兼用の車両として開発されました。
そうした合理化を図ったうえでの問題点も浮上しました。例えばボックスシートを採用していましたが、後々登場する特急車両は簡易リクライニングが装備されており、アコモの陳腐化が急速に進んだこと、座席や寝台転換時に作業員を多く要する(人的コスト負担)こと、空間上、中段と上段が窮屈になることなどが上げられます。そして、時代とともに優等列車の廃止や削減が進むと、今度は余剰車を大量に生み出し、普通列車用に改造されるグループも生まれ、主に東北、北陸、九州で活躍しました。
普通列車として改造しても、元々が特急用という性格から、定員数や2ドア車ということが欠点となり、主に通勤時間帯での使用を難しくしました。国鉄分割民営化後も活躍しましたが、北陸を除いて比較的早い段階で後継車両に置き換えられています。
最後はJR西日本とJR東日本で活躍し、前者は急行「きたぐに」や臨時列車、後者も臨時列車や代走などで使用されたと記憶しています。
管理者としては、国鉄形車両としては好きな車両であり、583系のノウハウを生かした車両が昨今においても非常に少ないですよね。285系のサンライズ車、トランスィート四季島、トワイライトエクスプレス瑞風が該当すると思います。一部は電車と気動車という違いはありますが、いずれも機関車に頼らない自走が可能な車両です。もっと自走可能な寝台列車が登場してもよかったと思いますが、夜行需要がそもそも減少していたことで、実現には至らなかったのでしょう。
また、広大な室内空間を持たせつつ、自走可能な機器を床下に搭載することは、現代の最新技術を駆使してもスペース上難しいのかもしれませんね。
ということで、話題は逸れてしまいましたが、北海道に渡道し、今もなお保存されている583系を紹介しました。今回は残念ながらブルーシートに覆われた状態での確認でしたが、いずれリベンジしたいと思います。
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