北海道で数年前まで残っていた救援車
客車・貨車 - 2020年12月10日 (木)
皆さんは「救援車」というものをご存知でしょうか??
一時期は全国でも見られたと思いますが、数年前まで北海道では「救援車」が在籍していました。



最後に撮影したのは旭川運転所(旭アサ)に所属していた「スユニ50‐511」です。写真は北海道胆振東部地震発生後に撮影しました。
あれから2年。懐かしいです。
記憶にある限りでは、同地震後に苗穂工場に入場し、2018年9月30日付で廃車になり、苗穂工場で解体されました。
スユニ50形は旧形の郵便・荷物合造車を置き換えるために計画されました。車体は完全に新製されていますが、台車などは廃車発生品を使用しているため、名目上は新製車ではなく、改造車扱いのようです。北海道ではトマムサホロエクスプレスなど、車体は新製されたものの、台車や機器などは流用していたため、改造車扱いになった車両も過去に存在しました。
当初は国鉄の向上で100両が改造される予定でしたが、当時は既に郵便・荷物輸送の低迷時期であり、80両の改造にとどまったようです。
北海道にわたったのは500番台で、一部車両は旧湧網(ゆうもう)線佐呂間駅跡や小樽市総合博物館で保存しているようです。国鉄分割民営化時に北海道に3両が継承されたということで、掲載写真の511のみ、継承車両で解体されたことになると思います。

木古内駅の車庫で休んでいた「DE10-1737」号機。今も現役の機体です。主に青函トンネルにおける救援機の役割が与えられ、木古内に常駐していました。後ろに車番は不明な客車の姿も見られます。それは救援車でしょう。
青函トンネルで万が一車両故障や事故が発生した際に備え、木古内駅と津軽今別駅に救援機と救援車を配置していました。後者については、救援車の配置があったかどうか不明です。
実際に何度か稼働しており、青函トンネル内で自走不能になった485系3000番台を救援する動画がアップされているので確認してみるといいでしょう。

写真は「オハ50‐5003」で、単なる保留車だった車両ですが、函館地区では主に快速「海峡」で使用されていた50系客車を救援車として近年まで車籍を残していました。結局稼働することはあまりなく、生きた化石状態でしたね。
救援車とは、事故発生時に迅速な復旧作業ができるよう、あらかじめ復旧に使用する機材を積んだ鉄道車両のことで、近年は最低限の車両数でそうした車両を常備していました。
元々は道路網が発達しておらず、復旧機材を積んだトラックや自動車では手間や現場への到着に時間を要してしまうため、万が一事故が発生した場合に備えて機器・機材を常備する車両を用意することとなりました。
近年は道路網が充実し、救援車を必要とする機会も少なくなっていました。北海道では函館、旭川、釧路にそれぞれ配置していましたが、救援機を含めて稼働する機会があったのはほぼ函館だけで、各運転所や車両所などの片すみで長らく留置されていました。
おそらく経費削減の一環から、こうした使われていなかった救援車についても数年前から廃車が発生したものと思われます。北海道では現在は残っておらず、青函トンネルの救援機だったDE10形ディーゼル機関車も救援任務を解かれ、函館運輸所(函)で入換作業に従事しています。
北海道の場合は数年に一度、こうした使われていない救援車でも苗穂工場などに入場しており、定期的な整備を受けていました。長らく稼働する機会がなかったとはいえ、比較的綺麗な状態を維持していました。
全国的にも救援車を保有し続けている鉄道事業者は一部の私鉄だけで、国鉄から民営化された各旅客鉄道会社については、近年までの保有事例というのは見当たりませんでした。
先日紹介した仮乗降場も然り、本来であれば、国鉄分割民営化から徐々に見直し・整理すべきだった駅や車両というのが、30年近くを経てもなお生き残っていました。青函トンネルを有する関係で函館の救援車両はその役割を果たしていますが、旭川や釧路に配置された車両というのは、ほとんど使用されず、一体何のために残してきたのだろうと、鉄道ファンの毎年1回発行される車両配置表を見ながらつくづく思っていました。
現在は臨時列車用を除いて、こうした書類上だけの使われることのない車両の整理は終えています。管理者は過去に指摘されたことがありますが、道民には「万が一」を意識する傾向が強いようです。これが昨今の不採算路線の整理が進まない理由にもつながっていると思います。
数値的には本州ではとっくに廃止になっておかしくない路線が、いつまでもだらだらと存廃問題と称して先送りする。では、利用があるのかといえば多いとは言えず、学生が1人や2人いれば、それを理由に残そうとする。確かに学生利用は大事ですが、鉄道がもつ「大量輸送」という使命を終えていることは言うまでもありません。
後日紹介していきますが、来春のダイヤ改正では、ローカル駅の廃止が大規模レベルで実施されます。また、沿線自治体が管理する駅が18駅となり、合わせて36駅にのぼります。
合わせる理由は、自治体管理に移行する時点で廃止と同様にJRが不必要と判断した駅と言わざるを得ません。その中には、間違いなく利用が限りなくゼロに近い駅もあるのです。ここでも「万が一」が生じていますよね。
そうした意識を道民は変えていかなければなりません。あとは、鉄道ダイヤにしても深夜遅くまで走る特急列車が多すぎです。来春で一部が廃止となりますが、今までの拡充策から利用状況に応じてコンパクト化・スリム化していかないと、いつまでたっても空気輸送、燃料ドカ食いの鉄道模型を走らせているようなものですから、コロナ禍になった今、利用減少を理由に大きく変えるチャンスなのです。
話題は逸れてしまいましたが、ようやく北海道の鉄道にも、救援車の廃車のように「万が一」を捨てる傾向が見られてきました。今後もこうした無駄な設備を徐々になくしていき、経費削減に努めてほしいと思います。
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一時期は全国でも見られたと思いますが、数年前まで北海道では「救援車」が在籍していました。



最後に撮影したのは旭川運転所(旭アサ)に所属していた「スユニ50‐511」です。写真は北海道胆振東部地震発生後に撮影しました。
あれから2年。懐かしいです。
記憶にある限りでは、同地震後に苗穂工場に入場し、2018年9月30日付で廃車になり、苗穂工場で解体されました。
スユニ50形は旧形の郵便・荷物合造車を置き換えるために計画されました。車体は完全に新製されていますが、台車などは廃車発生品を使用しているため、名目上は新製車ではなく、改造車扱いのようです。北海道ではトマムサホロエクスプレスなど、車体は新製されたものの、台車や機器などは流用していたため、改造車扱いになった車両も過去に存在しました。
当初は国鉄の向上で100両が改造される予定でしたが、当時は既に郵便・荷物輸送の低迷時期であり、80両の改造にとどまったようです。
北海道にわたったのは500番台で、一部車両は旧湧網(ゆうもう)線佐呂間駅跡や小樽市総合博物館で保存しているようです。国鉄分割民営化時に北海道に3両が継承されたということで、掲載写真の511のみ、継承車両で解体されたことになると思います。

木古内駅の車庫で休んでいた「DE10-1737」号機。今も現役の機体です。主に青函トンネルにおける救援機の役割が与えられ、木古内に常駐していました。後ろに車番は不明な客車の姿も見られます。それは救援車でしょう。
青函トンネルで万が一車両故障や事故が発生した際に備え、木古内駅と津軽今別駅に救援機と救援車を配置していました。後者については、救援車の配置があったかどうか不明です。
実際に何度か稼働しており、青函トンネル内で自走不能になった485系3000番台を救援する動画がアップされているので確認してみるといいでしょう。

写真は「オハ50‐5003」で、単なる保留車だった車両ですが、函館地区では主に快速「海峡」で使用されていた50系客車を救援車として近年まで車籍を残していました。結局稼働することはあまりなく、生きた化石状態でしたね。
救援車とは、事故発生時に迅速な復旧作業ができるよう、あらかじめ復旧に使用する機材を積んだ鉄道車両のことで、近年は最低限の車両数でそうした車両を常備していました。
元々は道路網が発達しておらず、復旧機材を積んだトラックや自動車では手間や現場への到着に時間を要してしまうため、万が一事故が発生した場合に備えて機器・機材を常備する車両を用意することとなりました。
近年は道路網が充実し、救援車を必要とする機会も少なくなっていました。北海道では函館、旭川、釧路にそれぞれ配置していましたが、救援機を含めて稼働する機会があったのはほぼ函館だけで、各運転所や車両所などの片すみで長らく留置されていました。
おそらく経費削減の一環から、こうした使われていなかった救援車についても数年前から廃車が発生したものと思われます。北海道では現在は残っておらず、青函トンネルの救援機だったDE10形ディーゼル機関車も救援任務を解かれ、函館運輸所(函)で入換作業に従事しています。
北海道の場合は数年に一度、こうした使われていない救援車でも苗穂工場などに入場しており、定期的な整備を受けていました。長らく稼働する機会がなかったとはいえ、比較的綺麗な状態を維持していました。
全国的にも救援車を保有し続けている鉄道事業者は一部の私鉄だけで、国鉄から民営化された各旅客鉄道会社については、近年までの保有事例というのは見当たりませんでした。
先日紹介した仮乗降場も然り、本来であれば、国鉄分割民営化から徐々に見直し・整理すべきだった駅や車両というのが、30年近くを経てもなお生き残っていました。青函トンネルを有する関係で函館の救援車両はその役割を果たしていますが、旭川や釧路に配置された車両というのは、ほとんど使用されず、一体何のために残してきたのだろうと、鉄道ファンの毎年1回発行される車両配置表を見ながらつくづく思っていました。
現在は臨時列車用を除いて、こうした書類上だけの使われることのない車両の整理は終えています。管理者は過去に指摘されたことがありますが、道民には「万が一」を意識する傾向が強いようです。これが昨今の不採算路線の整理が進まない理由にもつながっていると思います。
数値的には本州ではとっくに廃止になっておかしくない路線が、いつまでもだらだらと存廃問題と称して先送りする。では、利用があるのかといえば多いとは言えず、学生が1人や2人いれば、それを理由に残そうとする。確かに学生利用は大事ですが、鉄道がもつ「大量輸送」という使命を終えていることは言うまでもありません。
後日紹介していきますが、来春のダイヤ改正では、ローカル駅の廃止が大規模レベルで実施されます。また、沿線自治体が管理する駅が18駅となり、合わせて36駅にのぼります。
合わせる理由は、自治体管理に移行する時点で廃止と同様にJRが不必要と判断した駅と言わざるを得ません。その中には、間違いなく利用が限りなくゼロに近い駅もあるのです。ここでも「万が一」が生じていますよね。
そうした意識を道民は変えていかなければなりません。あとは、鉄道ダイヤにしても深夜遅くまで走る特急列車が多すぎです。来春で一部が廃止となりますが、今までの拡充策から利用状況に応じてコンパクト化・スリム化していかないと、いつまでたっても空気輸送、燃料ドカ食いの鉄道模型を走らせているようなものですから、コロナ禍になった今、利用減少を理由に大きく変えるチャンスなのです。
話題は逸れてしまいましたが、ようやく北海道の鉄道にも、救援車の廃車のように「万が一」を捨てる傾向が見られてきました。今後もこうした無駄な設備を徐々になくしていき、経費削減に努めてほしいと思います。
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