札沼線・旧石狩月形駅
駅 - 2020年12月11日 (金)
今回は予約投稿記事です。
今年の春?夏?までに知来乙駅まで紹介し、中途半端になっていた札沼線末端区間の駅訪問の様子。
ブログの下書き機能を使って、ある程度下準備を整えたので、順次紹介していこうと思います。
知来乙駅まで紹介したので、次は末端区間唯一の交換可能駅だった石狩月形駅です。



1枚目が駅舎、2枚目が国道方を見た駅前の様子。3枚目がその右方を向いた写真です。駅を境にほぼ直角の交差点になっているんですよね。
細かく言えばT字路ですが、一方は駐車場なので割愛します。

駅舎の様子。末端区間の中で唯一交換可能な駅ということで、駅舎も立派な方です。
石狩月形駅から新十津川までの間はスタフ閉塞式であり、運転取り扱い業務のために同駅では終日駅員が配置されていました。駅員は石狩当別駅の駅員が交代で業務に当たっていたようです。


ホームは1面2線の地上駅。駅舎側の1本は保線車用側線です。かつては貨物積卸線として使用していたようですが、貨物の取り扱いを廃止するにあたり、保線車用に転用したようです。

駅名標です。ホームの幅が狭いので、このアングルでしか撮影できませんでした。新型コロナウィルスの影響で、営業運転最終日が繰り上げられました。廃止後も駅名標がしばらく残ったという特殊な事例です。もちろん、これは廃止された末端区間全ての駅が該当します。


名物の交換風景です。使用車両は「キハ40‐401」と「キハ40‐402」です。400番台に区分されます。
同車は延命化を実施していないものの、豪雪地帯で使用するため、その際に1両運行実現と降雪時の排雪抵抗増に対応できる車両が必要とされました。札沼線の末端区間では、国鉄分割民営化前後でキハ54形500番台が使用されていたことや、2000年代に入る前には、キハ53形500番台が使用されているなど、出力が大きい車両が必要とされていたことがよくわかります。
機関はN-DMF13HZD (450 PS / 2,000 rpm) に換装し、変速機も交換、台車は未交換ながら、出力増大に伴い2軸駆動に改造されているようです。北海道の700番台と比べて2倍以上の出力が得られ、徹底した排雪対策が実施されています。外観は客用扉を萌黄色として区別されていました。
札沼線の末端区間の最終運行から半年以上を経過していますが、この間に営業列車への充当は確認されず、所属の苗穂運転所(札ナホ)で留置される日々が続いています。高出力化改造車で2軸駆動という、まだまだ活用できそうな要素を持っていますが、豪雪地帯で使用されてきた分、老朽・劣化が激しいのかもしれません。
しかし、札沼線末端区間では、2運用あるのに対し、専用の400番台が2両しかないため、検査などを伴った際は700番台などの車両が使用されていました。写真は増結で入った「キハ40‐825」です。代走時は単独で使用されました。
同車は現在、函館運輸所(函ハコ)に転属しています。延命化を実施していない700番台の廃車が進む中、異例の措置かもしれません。


最近は様子を確認しに行っていませんが、末端区間で唯一の交換可能駅であった石狩月形駅では、駅舎や構内のレールをそのまま保存し、後世にその歴史を伝えるべく、「札沼線記念館」とする計画があるようです。全区間において何らかの形で転用されるわけではありませんが、月形町周辺ではトロッコを計画しており、廃線を活用する取り組みを実施していくようです。
トロッコについては、具体的な取り組みの開始時期は現時点では不明です。ですが、トロッコという形で廃線を活用していくようなので、月ケ岡~札比内の区間については、線路が撤去されることはなさそうです。
写真のバスは4月から運行を開始している月形当別線の代替バスが発車を待っていました。愛称は「とべ~る号」です。代替バスが飛躍できるように、当別町のゆるキャラ「とべのすけ」と月形町のゆるキャラ「ベルデくん」が仲良く一緒に運行してほしいから名付けられたようです。
撮影日は新型コロナウィルスの影響による外出自粛の影響もありますが、乗客0人で当別方面へ向かっていきました。
札沼線末端区間では、同駅までが本数が一番多いです。早朝の上り(石狩当別方面)1本と深夜の下り(石狩月形方面)2本は、同駅発着となっています。その次が原則として浦臼まで運行する列車で、1日1往復だけ新十津川駅へ乗り入れる列車が運行していました。
浦臼駅あたりまでは、一部を除いて交通量が多く、駅前も民家を有する地帯を走行していきます。次は撮影スポットとして有名だった豊ヶ岡駅です。
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今年の春?夏?までに知来乙駅まで紹介し、中途半端になっていた札沼線末端区間の駅訪問の様子。
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知来乙駅まで紹介したので、次は末端区間唯一の交換可能駅だった石狩月形駅です。



1枚目が駅舎、2枚目が国道方を見た駅前の様子。3枚目がその右方を向いた写真です。駅を境にほぼ直角の交差点になっているんですよね。
細かく言えばT字路ですが、一方は駐車場なので割愛します。

駅舎の様子。末端区間の中で唯一交換可能な駅ということで、駅舎も立派な方です。
石狩月形駅から新十津川までの間はスタフ閉塞式であり、運転取り扱い業務のために同駅では終日駅員が配置されていました。駅員は石狩当別駅の駅員が交代で業務に当たっていたようです。


ホームは1面2線の地上駅。駅舎側の1本は保線車用側線です。かつては貨物積卸線として使用していたようですが、貨物の取り扱いを廃止するにあたり、保線車用に転用したようです。

駅名標です。ホームの幅が狭いので、このアングルでしか撮影できませんでした。新型コロナウィルスの影響で、営業運転最終日が繰り上げられました。廃止後も駅名標がしばらく残ったという特殊な事例です。もちろん、これは廃止された末端区間全ての駅が該当します。


名物の交換風景です。使用車両は「キハ40‐401」と「キハ40‐402」です。400番台に区分されます。
同車は延命化を実施していないものの、豪雪地帯で使用するため、その際に1両運行実現と降雪時の排雪抵抗増に対応できる車両が必要とされました。札沼線の末端区間では、国鉄分割民営化前後でキハ54形500番台が使用されていたことや、2000年代に入る前には、キハ53形500番台が使用されているなど、出力が大きい車両が必要とされていたことがよくわかります。
機関はN-DMF13HZD (450 PS / 2,000 rpm) に換装し、変速機も交換、台車は未交換ながら、出力増大に伴い2軸駆動に改造されているようです。北海道の700番台と比べて2倍以上の出力が得られ、徹底した排雪対策が実施されています。外観は客用扉を萌黄色として区別されていました。
札沼線の末端区間の最終運行から半年以上を経過していますが、この間に営業列車への充当は確認されず、所属の苗穂運転所(札ナホ)で留置される日々が続いています。高出力化改造車で2軸駆動という、まだまだ活用できそうな要素を持っていますが、豪雪地帯で使用されてきた分、老朽・劣化が激しいのかもしれません。
しかし、札沼線末端区間では、2運用あるのに対し、専用の400番台が2両しかないため、検査などを伴った際は700番台などの車両が使用されていました。写真は増結で入った「キハ40‐825」です。代走時は単独で使用されました。
同車は現在、函館運輸所(函ハコ)に転属しています。延命化を実施していない700番台の廃車が進む中、異例の措置かもしれません。


最近は様子を確認しに行っていませんが、末端区間で唯一の交換可能駅であった石狩月形駅では、駅舎や構内のレールをそのまま保存し、後世にその歴史を伝えるべく、「札沼線記念館」とする計画があるようです。全区間において何らかの形で転用されるわけではありませんが、月形町周辺ではトロッコを計画しており、廃線を活用する取り組みを実施していくようです。
トロッコについては、具体的な取り組みの開始時期は現時点では不明です。ですが、トロッコという形で廃線を活用していくようなので、月ケ岡~札比内の区間については、線路が撤去されることはなさそうです。
写真のバスは4月から運行を開始している月形当別線の代替バスが発車を待っていました。愛称は「とべ~る号」です。代替バスが飛躍できるように、当別町のゆるキャラ「とべのすけ」と月形町のゆるキャラ「ベルデくん」が仲良く一緒に運行してほしいから名付けられたようです。
撮影日は新型コロナウィルスの影響による外出自粛の影響もありますが、乗客0人で当別方面へ向かっていきました。
札沼線末端区間では、同駅までが本数が一番多いです。早朝の上り(石狩当別方面)1本と深夜の下り(石狩月形方面)2本は、同駅発着となっています。その次が原則として浦臼まで運行する列車で、1日1往復だけ新十津川駅へ乗り入れる列車が運行していました。
浦臼駅あたりまでは、一部を除いて交通量が多く、駅前も民家を有する地帯を走行していきます。次は撮影スポットとして有名だった豊ヶ岡駅です。
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