日高本線の鵡川~様似間が「ようやく」廃止へ
その他あれこれ - 2020年12月11日 (金)
今年の10月27日にJR北海道のニュースリリースより、日高本線の鵡川~様似間の鉄道事業廃止について発表がありました。

現段階では2021年11月1日が廃止予定日ですが、廃止日の繰り上げが認められれば、来年4月1日に繰り上げられる予定です。
鉄道事業法によって、路線を廃止にする際にも決まりがあります。
鉄道路線を廃止する場合、廃止とする日の1年前までにその旨を国土交通大臣へ届け出なければなりません。これは、鉄道事業法第二十八条の二で定められています。路線を廃止とする1年以上前に既に発表・届け出していることで廃止届が正式に受理されます。いきなり、数ヶ月後・数日後に廃止する等、鉄道会社独断で廃止日を決めることはできません。
夕張支線や札沼線の北海道医療大学~新十津川間など、直近の事例と照らし合わせて実際にそうなっているか確認してみるのもよいでしょう。後者につちえは、新型コロナウィルスの影響で、最終営業日が繰り上げられました。ですが正式な鉄道事業廃止とはならないため、駅名標はしばらく残され、各駅への立入制限も廃止日まで実施されませんでした。過去に例をみない特殊な例だと思います。
題名のとおり、「ようやく」と記載しましたが、語弊があるかもしれません。しかし、鵡川~様似間の営業運転が通常どおり実施できなくなった2015年から、この結果は既にわかりきっていました。
従来、駅も列車の運行も全てJR北海道が実施してきました。しかし、経営をひっ迫している最中、復旧費用に莫大な資金を確保することは難しかったのです。
そこで、沿線自治体に協力を求め、最終的には道の協力を要請する形となります。後者については、前職の知事が全く役に立たず、突き放される一方でしたね。
鉄道路線として存続させるためには、当初単年度赤字分と年間の防災費・老朽対策費を合わせた16億4千万円を負担しなければならず、それをJR北海道が年間およそ3億円を負担し、関係する日高管内の7町(日高・平取・新ひだか・新冠・浦河・様似・えりもの各町)に対して、残りの13億円4千万円を毎年負担するよう求めました。
さらに、2016年の台風被害で復旧費用が増加し、約86億円に跳ね上がります。運行を再開した場合の沿線自治体の負担が年間13億4千万円と、今度は一自治体分で当初の7自治体の合計金額分になり、復旧費用を拠出することが困難になりました。
その間に沿線自治体単体や、道、JR北海道の三者で協議を行ってきましたが、いずれも平行線をたどったまま、ようやく今回の正式な鉄道事業の廃止にたどり着きました。
これはあくまで、管理者の個人的な主観ですが、協議が長引き、虚偽の報道内容によって次第に道民の感心は薄れていきました。虚偽の報道内容とは、JR北海道が沿線自治体を無視して、路線廃止の強行策に出るというものでした。これによって、完全に自治体の見方についた某マスコミは、JR北海道を徹底的に批判しました。
しかし、全国規模で日高本線の実態が暴かれると、パッタリとその批判的な内容はおろか、某マスコミに対しての批判、沿線自治体の首長に対する批判へと変わります。
その契機となったのは、沿線住民の生の声です。鉄道はほとんど利用せず、学生ですらバス通学が大半以上を占める実態が明らかになったのです。某マスコミについては、その沿線住民の生の声を報道せず、その実態が闇に包まれたままでした。
JR北海道の立場が若干有利になった一方、前職の知事からは「自助努力」と称して非難し、終いには、日高本線のみならず、不採算路線について言及した島田社長に不適切な発言内容があったとして、多数の報道機関の前で謝罪させた公開処刑。尚も協力する気すらない道は、前職は国会議員へキャリアアップし、一連の日高本線の問題は放ったらかしにして離れていきました。
その間、鉄道を残す理由として、地名が消える、鉄道路線が消えて観光に影響を及ぼす等、どうでもいいような理由を並べて廃止反対を唱えていた輩もいました。そして、途中からDMV(デュアル・モード・ビークル)の存在を知ると、復旧を諦めかけていた沿線自治体が再び過熱し、被災した現場を避けて道路と線路を上手く活用する方法も検討しましたが、DMV(デュアル・モード・ビークル)は専用の設備を要し、それを整備するためにもお金がかかりますから、結局費用の負担を断念し、再び復旧に向けた話し合いが行われました。ですが、このDMV(デュアル・モード・ビークル)を使用するのであれば、結局バスで全ての区間を代替した方が良く、わざわざ鉄道路線を残す必要もありませんでした。
一方、JR北海道からは上下分離方式が提案されます。
鉄道や道路、空港などの経営において、下部(インフラ)の管理と上部(運行・運営)を行う組織を分離し、下部と上部の会計を独立させる方式または仕組みです。主に、鉄道の収入で施設等の維持・更新が賄いきれず、鉄道を維持するべく、沿線自治体等が施設の保有を担います。
上下分離方式には主に2通りが存在します。
(1)列車の運行及び車両の維持・管理を運行する会社が担い、施設や土地を保有会社が担う
(2)車両の運行のみを運行する会社が担い、それ以外は保有会社が担う
地域や状況に応じて上下分離方式の仕方は異なってくると思います。
日高本線の場合、列車の運行や車両の維持をJR北海道、駅などの設備運営を沿線自治体に委ねる方式です。来春のダイヤ見直しで道北方面の18駅がこの体系に移行します。
おそらく、日高本線を復旧するにあたり、一番有望だったのがこの上下分離方式でした。結局この提案も受け入れられなかったのです。
日高本線は駅の数が30もあります。中には、限りなく1日あたりの利用者がゼロに近い駅もあったでしょう。そうした駅を果たして残しておくべきだったのか。これは以前管理者がブログ上で指摘したことですよね。
実際、来春のダイヤ改正で宗谷本線で旅客駅の大量廃止を実施し、そうした駅をスルーすることができるようになった普通列車は、最新のH100形への置き換えの影響もあり、旭川~名寄間で最大30分程度の時間短縮が図られます。日高本線は苫小牧~様似間を結びますが、全線の所要時間は3時間を越えます。仮に、利用が多い主要な駅だけを残して整理すれば、上下分離方式による沿線自治体の維持負担の軽減はおろか、所要時間が短縮され、利用増進に結びついた可能性もあるのです。なぜそうした方向性に話が進展しなかったのか、管理者としては疑問に思っています。
次に移動について。
札幌方面から日高方面に行く場合は原則自家用車になると思います。自家用車で移動できないのであれば、高速バスか鉄道の公共交通になるでしょう。しかし、後者の場合は苫小牧を経由しなければならず、鉄道路線が不通でほとんどの区間がバスとなれば、ほぼ1日がかりでの移動になります。上記のように、主要な駅や利用の多い駅だけを残せば、代替バスそのものの時間短縮も図ることができたでしょう。
なぜ札幌方面と記載したかというと、日高管内は地図で見ても広大なエリアであるにも関わらず、高齢者医療においては、苫小牧や札幌に頼らざるを得ない状況が続いています。上記のとおり、鉄道を残す理由として、地名が消える、鉄道路線が消えて観光に影響を及ぼす等、どうでもいいような理由も並べられたこともありましたが、鉄道を残す一番の理由として「弱者救済」が上げられていました。
主に高齢者医療を必要としている方に対して、交通の便を確保し、日高管内と苫小牧などを結べるようにすることです。ですが実際、弱者救済の手段は鉄道でなくてもよいのです。
鉄道は線路のない場所にはたどり着けません。つまり、その弱者が駅までどのようにして移動すればよいのか、そして例えば苫小牧駅に到着したら、どのようにして病院へ移動すればよいのか。以前この弱者救済についてコメントをいただいたことがありましたが、そこから管理者が考える限り、そうした体制が不透明なままなんですよね。
以前、記事かコメントか何かで記載した記憶がありますが、本当の弱者救済を考えているのであれば、やはり戸口から戸口の移動に限ります。どのような方法かというと、自宅まで車で迎えに来て、車を降りたら病院にたどり着ける。そうした仕組みこそ、本当の弱者救済です。このことからも、鉄道は弱者救済としての使命を果たせることができません。
さらに、高齢者医療を必要としている方の中には、家族がいない、身寄りがいない方もいるはずですから、そうした方のためにも、管理者が提案する戸口から戸口への移動が可能な本当の弱者救済が必要です。
廃止時期が早ければ早いほど有利な条件を勝ち取る方法もあったのです。もちろん、路線廃止に伴って沿線自治体にはその対価(莫大なお金)が基本的に入ります。そのお金を使って、例えば自治体側でバス(マイクロバス)を購入し、定期的に苫小牧の病院と日高管内を往復するバスの運行を実施する。あるいは、その対価を使って日高管内に新たに総合病院を設け、そこを軸とした新たな交通網を展開してもよかったでしょう。
昨今では、大規模な総合病院がある場合、そこを起点として路線バスを運行する事例が増えています。後者の場合であれば、わざわざ苫小牧へのアクセスを重要視する必要もなくなりますよね。但し、地方での医師不足が心配される昨今では、開業までに大きな壁にぶち当たりそうです。
高齢者が増えている以上、難しい話ですが、長距離移動は今後より一層困難になっていくでしょう。であれば、日高管内で完結するように新たなまちづくりの必要性を強く感じます。そうした意味では、後者の総合病院計画は、今後長期的にわたって有望な策と言えそうです。
北海道の鉄道路線は、そのほとんどが石炭、農業、漁業、林業などの大規模な産業に支えられてきたものが大半を占めています。これまでに廃止された鉄道路線も大半がそうした産業に支えられて発達しました。
しかし、そうした大規模産業が衰退すると、二の次だった旅客輸送だけで生き残れるわけがありません。首都圏とは違い、北海道は人が多くなって鉄道網が拡大していったのではありません。そうした事情で鉄道が生まれている限り、北海道では札幌圏などの大都市圏などを除けば、ほぼ鉄道の使命は果たし終えているのです。
ですが、日高本線は苫小牧軽便鉄道(1913年10月1日開業)の苫小牧~佐瑠太(現:富川)間の開通に始まり、その後、日高拓殖鉄道(1924年9月6日開業)とともに、2つの軽便鉄道を1927年8月1日に線路幅を現在の在来線の1,067mmに改軌したうえで国有化しました。その後、1933年から1937年にかけて現在の終着である様似駅まで延長した路線です。
調べていると、実は産業とともに発展したような路線ではないと思います。最終的には旧広尾線と結ばれる計画があったはずです。襟裳岬を経由して広尾を経て帯広まで結ぶことが予定されていました。しかし広尾線は国鉄分割民営化直前の1987年2月2日に廃止されました。
その間に石勝線も開業したことで、短絡路線という意味合いもなくなり、様似までの長いレールが残っていただけのようです。
日高本線はこれまで自然災害で何度も被害受け、その度に損壊と復旧を繰り返してきました。赤字ローカル線に莫大な復旧費用がかかっていることは何十年も前からわかりきっていたはずで、なぜ今の今までそうした問題を無視してきたのか疑問に思います。
日高本線の昨年度の営業係数(100円の営業収入を得るのにどれだけの営業費用を要するかを表す指数)は、苫小牧~鵡川間で802、鵡川~様似間で1719でした。苫小牧~鵡川間については、不通後、2016年度に1827という強烈な数字を叩き出していますが、概ね鵡川~様似間が不通になる以前の2014年度と同じ水準まで回復しました。1年ごとに200~400ずつ営業係数が回復してきていますが、新型コロナウィルスの影響を受けていれば、今年度はせっかく回復してきた数字が悪化するかもしれません。
一方、鵡川~様似間については、だいたい廃止前の旧渚滑線(渚滑~北見滝ノ上間)と同等レベルです。両区間を合算すると、だいたい1200や1300ぐらいになると思います。だいたい標津線の末期ぐらいの数字です。
ちなみに、鉄道路線として完全に生きていた2014年度は、苫小牧~鵡川間が803、鵡川~様似間が1476で、全体が1179というデータがあります。こちらは名寄本線や瀬棚線よりも悪い数字です。
しかも、そうした営業係数というのは原則として除雪費用なども含めて算出されます。日高地方の太平洋側は積雪が例年少ないですから、こうして国鉄の不採算路線と比較してみると、いかに利用の低い路線ということがわかります。自然災害の影響によって数字が悪いというのも一理あるでしょう。
ここまで数字が悪い路線は、国鉄時代は特定地方交通線に指定され、深名線のような冬季の代替交通機関が十分に確保できないという特殊なケースを除けば、バス転換が相当と判断されました。なので、JR北海道も現在不採算路線の整理を実施していますが、国鉄の強行策から比べれば基準が全然低いし易しい方です。国鉄だったらとっくに廃止・バス転換が相当と判断されているはずですからね。
ということで、論脈や流れがあまり通らないまま、長々と今まで溜め込んできた内容を長々と記載しました。だいたい日高本線と周辺エリアの実態、そしてJR北海道が進める路線廃止が無謀な強行策ではないということをお分かりいただけると思います。


とりあえず、日高本線は苫小牧~鵡川間が引き続き存続しますが、営業係数は800台と依然として厳しい数値です。気になっていた日高本線へのH100形の乗り入れは来春では実現しないようです。日高本線用の350番台も淘汰が進んでおり、H100形の動向によっては、来春のダイヤ見直しで営業運転から撤退し、日高本線には写真のJR北海道の標準色車が主に乗り入れる可能性もあるでしょう。
路線・車両ともに今後維持していくには限界があったようです。自然災害で不通となり、そのまま廃止されるという北海道では過去にもあまり例がありませんが、日本全国では徐々にそうした例も出てきており、ほかにも根室本線の東鹿越~新得間も同様の運命を辿る区間もあります。
少し寂しい別れになりますが、その分北海道の鉄道はコロナ禍に負けず、引き続き全道各地で元気よく走る鉄道車両が見れれることを期待しています。
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鉄道事業法によって、路線を廃止にする際にも決まりがあります。
鉄道路線を廃止する場合、廃止とする日の1年前までにその旨を国土交通大臣へ届け出なければなりません。これは、鉄道事業法第二十八条の二で定められています。路線を廃止とする1年以上前に既に発表・届け出していることで廃止届が正式に受理されます。いきなり、数ヶ月後・数日後に廃止する等、鉄道会社独断で廃止日を決めることはできません。
夕張支線や札沼線の北海道医療大学~新十津川間など、直近の事例と照らし合わせて実際にそうなっているか確認してみるのもよいでしょう。後者につちえは、新型コロナウィルスの影響で、最終営業日が繰り上げられました。ですが正式な鉄道事業廃止とはならないため、駅名標はしばらく残され、各駅への立入制限も廃止日まで実施されませんでした。過去に例をみない特殊な例だと思います。
題名のとおり、「ようやく」と記載しましたが、語弊があるかもしれません。しかし、鵡川~様似間の営業運転が通常どおり実施できなくなった2015年から、この結果は既にわかりきっていました。
従来、駅も列車の運行も全てJR北海道が実施してきました。しかし、経営をひっ迫している最中、復旧費用に莫大な資金を確保することは難しかったのです。
そこで、沿線自治体に協力を求め、最終的には道の協力を要請する形となります。後者については、前職の知事が全く役に立たず、突き放される一方でしたね。
鉄道路線として存続させるためには、当初単年度赤字分と年間の防災費・老朽対策費を合わせた16億4千万円を負担しなければならず、それをJR北海道が年間およそ3億円を負担し、関係する日高管内の7町(日高・平取・新ひだか・新冠・浦河・様似・えりもの各町)に対して、残りの13億円4千万円を毎年負担するよう求めました。
さらに、2016年の台風被害で復旧費用が増加し、約86億円に跳ね上がります。運行を再開した場合の沿線自治体の負担が年間13億4千万円と、今度は一自治体分で当初の7自治体の合計金額分になり、復旧費用を拠出することが困難になりました。
その間に沿線自治体単体や、道、JR北海道の三者で協議を行ってきましたが、いずれも平行線をたどったまま、ようやく今回の正式な鉄道事業の廃止にたどり着きました。
これはあくまで、管理者の個人的な主観ですが、協議が長引き、虚偽の報道内容によって次第に道民の感心は薄れていきました。虚偽の報道内容とは、JR北海道が沿線自治体を無視して、路線廃止の強行策に出るというものでした。これによって、完全に自治体の見方についた某マスコミは、JR北海道を徹底的に批判しました。
しかし、全国規模で日高本線の実態が暴かれると、パッタリとその批判的な内容はおろか、某マスコミに対しての批判、沿線自治体の首長に対する批判へと変わります。
その契機となったのは、沿線住民の生の声です。鉄道はほとんど利用せず、学生ですらバス通学が大半以上を占める実態が明らかになったのです。某マスコミについては、その沿線住民の生の声を報道せず、その実態が闇に包まれたままでした。
JR北海道の立場が若干有利になった一方、前職の知事からは「自助努力」と称して非難し、終いには、日高本線のみならず、不採算路線について言及した島田社長に不適切な発言内容があったとして、多数の報道機関の前で謝罪させた公開処刑。尚も協力する気すらない道は、前職は国会議員へキャリアアップし、一連の日高本線の問題は放ったらかしにして離れていきました。
その間、鉄道を残す理由として、地名が消える、鉄道路線が消えて観光に影響を及ぼす等、どうでもいいような理由を並べて廃止反対を唱えていた輩もいました。そして、途中からDMV(デュアル・モード・ビークル)の存在を知ると、復旧を諦めかけていた沿線自治体が再び過熱し、被災した現場を避けて道路と線路を上手く活用する方法も検討しましたが、DMV(デュアル・モード・ビークル)は専用の設備を要し、それを整備するためにもお金がかかりますから、結局費用の負担を断念し、再び復旧に向けた話し合いが行われました。ですが、このDMV(デュアル・モード・ビークル)を使用するのであれば、結局バスで全ての区間を代替した方が良く、わざわざ鉄道路線を残す必要もありませんでした。
一方、JR北海道からは上下分離方式が提案されます。
鉄道や道路、空港などの経営において、下部(インフラ)の管理と上部(運行・運営)を行う組織を分離し、下部と上部の会計を独立させる方式または仕組みです。主に、鉄道の収入で施設等の維持・更新が賄いきれず、鉄道を維持するべく、沿線自治体等が施設の保有を担います。
上下分離方式には主に2通りが存在します。
(1)列車の運行及び車両の維持・管理を運行する会社が担い、施設や土地を保有会社が担う
(2)車両の運行のみを運行する会社が担い、それ以外は保有会社が担う
地域や状況に応じて上下分離方式の仕方は異なってくると思います。
日高本線の場合、列車の運行や車両の維持をJR北海道、駅などの設備運営を沿線自治体に委ねる方式です。来春のダイヤ見直しで道北方面の18駅がこの体系に移行します。
おそらく、日高本線を復旧するにあたり、一番有望だったのがこの上下分離方式でした。結局この提案も受け入れられなかったのです。
日高本線は駅の数が30もあります。中には、限りなく1日あたりの利用者がゼロに近い駅もあったでしょう。そうした駅を果たして残しておくべきだったのか。これは以前管理者がブログ上で指摘したことですよね。
実際、来春のダイヤ改正で宗谷本線で旅客駅の大量廃止を実施し、そうした駅をスルーすることができるようになった普通列車は、最新のH100形への置き換えの影響もあり、旭川~名寄間で最大30分程度の時間短縮が図られます。日高本線は苫小牧~様似間を結びますが、全線の所要時間は3時間を越えます。仮に、利用が多い主要な駅だけを残して整理すれば、上下分離方式による沿線自治体の維持負担の軽減はおろか、所要時間が短縮され、利用増進に結びついた可能性もあるのです。なぜそうした方向性に話が進展しなかったのか、管理者としては疑問に思っています。
次に移動について。
札幌方面から日高方面に行く場合は原則自家用車になると思います。自家用車で移動できないのであれば、高速バスか鉄道の公共交通になるでしょう。しかし、後者の場合は苫小牧を経由しなければならず、鉄道路線が不通でほとんどの区間がバスとなれば、ほぼ1日がかりでの移動になります。上記のように、主要な駅や利用の多い駅だけを残せば、代替バスそのものの時間短縮も図ることができたでしょう。
なぜ札幌方面と記載したかというと、日高管内は地図で見ても広大なエリアであるにも関わらず、高齢者医療においては、苫小牧や札幌に頼らざるを得ない状況が続いています。上記のとおり、鉄道を残す理由として、地名が消える、鉄道路線が消えて観光に影響を及ぼす等、どうでもいいような理由も並べられたこともありましたが、鉄道を残す一番の理由として「弱者救済」が上げられていました。
主に高齢者医療を必要としている方に対して、交通の便を確保し、日高管内と苫小牧などを結べるようにすることです。ですが実際、弱者救済の手段は鉄道でなくてもよいのです。
鉄道は線路のない場所にはたどり着けません。つまり、その弱者が駅までどのようにして移動すればよいのか、そして例えば苫小牧駅に到着したら、どのようにして病院へ移動すればよいのか。以前この弱者救済についてコメントをいただいたことがありましたが、そこから管理者が考える限り、そうした体制が不透明なままなんですよね。
以前、記事かコメントか何かで記載した記憶がありますが、本当の弱者救済を考えているのであれば、やはり戸口から戸口の移動に限ります。どのような方法かというと、自宅まで車で迎えに来て、車を降りたら病院にたどり着ける。そうした仕組みこそ、本当の弱者救済です。このことからも、鉄道は弱者救済としての使命を果たせることができません。
さらに、高齢者医療を必要としている方の中には、家族がいない、身寄りがいない方もいるはずですから、そうした方のためにも、管理者が提案する戸口から戸口への移動が可能な本当の弱者救済が必要です。
廃止時期が早ければ早いほど有利な条件を勝ち取る方法もあったのです。もちろん、路線廃止に伴って沿線自治体にはその対価(莫大なお金)が基本的に入ります。そのお金を使って、例えば自治体側でバス(マイクロバス)を購入し、定期的に苫小牧の病院と日高管内を往復するバスの運行を実施する。あるいは、その対価を使って日高管内に新たに総合病院を設け、そこを軸とした新たな交通網を展開してもよかったでしょう。
昨今では、大規模な総合病院がある場合、そこを起点として路線バスを運行する事例が増えています。後者の場合であれば、わざわざ苫小牧へのアクセスを重要視する必要もなくなりますよね。但し、地方での医師不足が心配される昨今では、開業までに大きな壁にぶち当たりそうです。
高齢者が増えている以上、難しい話ですが、長距離移動は今後より一層困難になっていくでしょう。であれば、日高管内で完結するように新たなまちづくりの必要性を強く感じます。そうした意味では、後者の総合病院計画は、今後長期的にわたって有望な策と言えそうです。
北海道の鉄道路線は、そのほとんどが石炭、農業、漁業、林業などの大規模な産業に支えられてきたものが大半を占めています。これまでに廃止された鉄道路線も大半がそうした産業に支えられて発達しました。
しかし、そうした大規模産業が衰退すると、二の次だった旅客輸送だけで生き残れるわけがありません。首都圏とは違い、北海道は人が多くなって鉄道網が拡大していったのではありません。そうした事情で鉄道が生まれている限り、北海道では札幌圏などの大都市圏などを除けば、ほぼ鉄道の使命は果たし終えているのです。
ですが、日高本線は苫小牧軽便鉄道(1913年10月1日開業)の苫小牧~佐瑠太(現:富川)間の開通に始まり、その後、日高拓殖鉄道(1924年9月6日開業)とともに、2つの軽便鉄道を1927年8月1日に線路幅を現在の在来線の1,067mmに改軌したうえで国有化しました。その後、1933年から1937年にかけて現在の終着である様似駅まで延長した路線です。
調べていると、実は産業とともに発展したような路線ではないと思います。最終的には旧広尾線と結ばれる計画があったはずです。襟裳岬を経由して広尾を経て帯広まで結ぶことが予定されていました。しかし広尾線は国鉄分割民営化直前の1987年2月2日に廃止されました。
その間に石勝線も開業したことで、短絡路線という意味合いもなくなり、様似までの長いレールが残っていただけのようです。
日高本線はこれまで自然災害で何度も被害受け、その度に損壊と復旧を繰り返してきました。赤字ローカル線に莫大な復旧費用がかかっていることは何十年も前からわかりきっていたはずで、なぜ今の今までそうした問題を無視してきたのか疑問に思います。
日高本線の昨年度の営業係数(100円の営業収入を得るのにどれだけの営業費用を要するかを表す指数)は、苫小牧~鵡川間で802、鵡川~様似間で1719でした。苫小牧~鵡川間については、不通後、2016年度に1827という強烈な数字を叩き出していますが、概ね鵡川~様似間が不通になる以前の2014年度と同じ水準まで回復しました。1年ごとに200~400ずつ営業係数が回復してきていますが、新型コロナウィルスの影響を受けていれば、今年度はせっかく回復してきた数字が悪化するかもしれません。
一方、鵡川~様似間については、だいたい廃止前の旧渚滑線(渚滑~北見滝ノ上間)と同等レベルです。両区間を合算すると、だいたい1200や1300ぐらいになると思います。だいたい標津線の末期ぐらいの数字です。
ちなみに、鉄道路線として完全に生きていた2014年度は、苫小牧~鵡川間が803、鵡川~様似間が1476で、全体が1179というデータがあります。こちらは名寄本線や瀬棚線よりも悪い数字です。
しかも、そうした営業係数というのは原則として除雪費用なども含めて算出されます。日高地方の太平洋側は積雪が例年少ないですから、こうして国鉄の不採算路線と比較してみると、いかに利用の低い路線ということがわかります。自然災害の影響によって数字が悪いというのも一理あるでしょう。
ここまで数字が悪い路線は、国鉄時代は特定地方交通線に指定され、深名線のような冬季の代替交通機関が十分に確保できないという特殊なケースを除けば、バス転換が相当と判断されました。なので、JR北海道も現在不採算路線の整理を実施していますが、国鉄の強行策から比べれば基準が全然低いし易しい方です。国鉄だったらとっくに廃止・バス転換が相当と判断されているはずですからね。
ということで、論脈や流れがあまり通らないまま、長々と今まで溜め込んできた内容を長々と記載しました。だいたい日高本線と周辺エリアの実態、そしてJR北海道が進める路線廃止が無謀な強行策ではないということをお分かりいただけると思います。


とりあえず、日高本線は苫小牧~鵡川間が引き続き存続しますが、営業係数は800台と依然として厳しい数値です。気になっていた日高本線へのH100形の乗り入れは来春では実現しないようです。日高本線用の350番台も淘汰が進んでおり、H100形の動向によっては、来春のダイヤ見直しで営業運転から撤退し、日高本線には写真のJR北海道の標準色車が主に乗り入れる可能性もあるでしょう。
路線・車両ともに今後維持していくには限界があったようです。自然災害で不通となり、そのまま廃止されるという北海道では過去にもあまり例がありませんが、日本全国では徐々にそうした例も出てきており、ほかにも根室本線の東鹿越~新得間も同様の運命を辿る区間もあります。
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