旧キハ400形の生き残りのヨンマル
気動車 - 2020年12月15日 (火)
「キハ40‐1747」(キハ400 宗谷線急行気動車風)が今秋にデビューし、けっこう人気ですよね。

元々は・・・

こんな感じです。復刻塗装はタイフォンカバーレスだとかなり印象が違って見えます。
写真は急行「天北」。宗谷本線の音威子府駅に展示されている写真です。
その名のとおり、音威子府~南稚内間の天北線を経由して札幌と稚内を結んでいた車両です。キハ400形・キハ480形が1988年にデビューし、14系客車で運行されていた宗谷本線・天北線の優等列車を置き換えました。しかし、天北線は1989年に廃止となっているので、キハ400形・キハ480形による急行「天北」は1年程度しか見られなかった貴重な列車です。
また、特定地方交通線に指定された路線や、廃止が控えた路線としては、珍しく廃止まで優等列車が設定されたことは、非常に珍しいことでした。北見枝幸や歌登方面への便宜を図り、旧小頓別駅で宗谷バスと接続していました。オホーツク海側の主要地域への利便性や浜頓別といった主要地域を結んでいたことが、最後まで生き残った理由の1つではないでしょうか?
天北線廃止後は、宗谷本線経由に変更され、愛称も「宗谷」となり、一時的に2往復となりますが、1992年に1往復を「サロベツ」に改称しています。「サロベツ」という列車名が誕生した先駆けとなった列車といっても過言ではありません。
宗谷本線向けにキハ400形・キハ480形として13両が改造されますが、2000年3月ダイヤ改正を機に、宗谷本線高速化工事完了とともに、優等列車を全て特急へ格上げすることに伴い、キハ400形・キハ480形の活躍は終わります。
キハ480形の一部などは転用されずにそのまま廃車になった車両や、ジョイフルトレイン「くつろぎ」の老朽化に伴い、お座敷車へ改造された車両もありますが、大半は当時はまだ非電化だった学園都市線用として普通列車用に使用するための改造を実施しました。


現在は2両が残っています。形式をキハ40形に戻し、番台区分は330番台としました。写真は「キハ40-331」と「キハ40-336」です。キハ400形は6両が学園都市線へ転用されましたが、電化の際に用途を失って廃車となり、一部は海外へ譲渡されていたはずです。
宗谷本線の急行気動車風を再現するのであれば、こちらの方が適していたかもしれませんね。
普通列車用に転用するということで、711系の廃車発生品を使用してロングシートにしたり、客室とデッキ間の仕切りを撤去し、ボタン開閉式の半自動ドアを装備しています。なので、仮に復刻塗装を施し、宗谷本線で使用するにしても問題なさそうです。
学園都市線電化後は2両が残りましたが、営業運転に使用されることはなく、試運転等で使用されています。所属先は苗穂運転所(札ナホ)です。
外見はキハ40形気動車ですが、エンジンはキハ183形1550番台などと同様のエンジンが積まれ、変速機も換装されています。キハ400形登場当時、大幅な最高速度向上には至りませんでしたが、気動車化や高出力エンジンの搭載で加速力が向上し、名寄駅で増解結作業が増えたにも関わらず、客車時代と比べておよそ40分の速達化を実現したようです。
1700番台とは異なり、延命化を実施していないグループだと思いますが、日頃営業列車として使用されているわけではないので、キハ40形気動車が淘汰されている昨今、おそらく最後まで残るグループになるでしょう。
日頃は苗穂運転所の構内にいるので、走行しているシーンを撮影するのはなかなか難しいです。遭遇したら運が良いとしか言いようがありませんね。
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元々は・・・

こんな感じです。復刻塗装はタイフォンカバーレスだとかなり印象が違って見えます。
写真は急行「天北」。宗谷本線の音威子府駅に展示されている写真です。
その名のとおり、音威子府~南稚内間の天北線を経由して札幌と稚内を結んでいた車両です。キハ400形・キハ480形が1988年にデビューし、14系客車で運行されていた宗谷本線・天北線の優等列車を置き換えました。しかし、天北線は1989年に廃止となっているので、キハ400形・キハ480形による急行「天北」は1年程度しか見られなかった貴重な列車です。
また、特定地方交通線に指定された路線や、廃止が控えた路線としては、珍しく廃止まで優等列車が設定されたことは、非常に珍しいことでした。北見枝幸や歌登方面への便宜を図り、旧小頓別駅で宗谷バスと接続していました。オホーツク海側の主要地域への利便性や浜頓別といった主要地域を結んでいたことが、最後まで生き残った理由の1つではないでしょうか?
天北線廃止後は、宗谷本線経由に変更され、愛称も「宗谷」となり、一時的に2往復となりますが、1992年に1往復を「サロベツ」に改称しています。「サロベツ」という列車名が誕生した先駆けとなった列車といっても過言ではありません。
宗谷本線向けにキハ400形・キハ480形として13両が改造されますが、2000年3月ダイヤ改正を機に、宗谷本線高速化工事完了とともに、優等列車を全て特急へ格上げすることに伴い、キハ400形・キハ480形の活躍は終わります。
キハ480形の一部などは転用されずにそのまま廃車になった車両や、ジョイフルトレイン「くつろぎ」の老朽化に伴い、お座敷車へ改造された車両もありますが、大半は当時はまだ非電化だった学園都市線用として普通列車用に使用するための改造を実施しました。


現在は2両が残っています。形式をキハ40形に戻し、番台区分は330番台としました。写真は「キハ40-331」と「キハ40-336」です。キハ400形は6両が学園都市線へ転用されましたが、電化の際に用途を失って廃車となり、一部は海外へ譲渡されていたはずです。
宗谷本線の急行気動車風を再現するのであれば、こちらの方が適していたかもしれませんね。
普通列車用に転用するということで、711系の廃車発生品を使用してロングシートにしたり、客室とデッキ間の仕切りを撤去し、ボタン開閉式の半自動ドアを装備しています。なので、仮に復刻塗装を施し、宗谷本線で使用するにしても問題なさそうです。
学園都市線電化後は2両が残りましたが、営業運転に使用されることはなく、試運転等で使用されています。所属先は苗穂運転所(札ナホ)です。
外見はキハ40形気動車ですが、エンジンはキハ183形1550番台などと同様のエンジンが積まれ、変速機も換装されています。キハ400形登場当時、大幅な最高速度向上には至りませんでしたが、気動車化や高出力エンジンの搭載で加速力が向上し、名寄駅で増解結作業が増えたにも関わらず、客車時代と比べておよそ40分の速達化を実現したようです。
1700番台とは異なり、延命化を実施していないグループだと思いますが、日頃営業列車として使用されているわけではないので、キハ40形気動車が淘汰されている昨今、おそらく最後まで残るグループになるでしょう。
日頃は苗穂運転所の構内にいるので、走行しているシーンを撮影するのはなかなか難しいです。遭遇したら運が良いとしか言いようがありませんね。
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