仁宇布のトロッコ王国と日本一の赤字路線
その他あれこれ - 2020年12月29日 (火)
キハ261系5000番台はまなす編成が初めて宗谷本線で営業運転に使用された11月中旬。美深町仁宇布(にうぷ)に行ってきました。

急遽レンタカーで。
以前お伝えしたとおり、名寄駅前で特急「宗谷」を撮影したのはいいものの、折り返しの時間まで暇になってしまいました。キマロキでも見て暇を潰そうと思いきや、それにしても暇だと。
そこで、トロッコ王国のある美深町仁宇布まで往復できないかと思い、名寄駅周辺で聞いていると、美深町を通り越して恩根内までの路線バスはあるものの、美深町市街から仁宇布までのバスが事前予約制で、しかも日曜運休ということで諦めていたところ、駅前にレンタカー屋があり、夕方までに旭川駅前に返却するという条件で特別にお借りし、急遽行くことができました。
しかも借りれたのは新車のトヨタ・ヤリス。先代モデルは「ヴィッツ」です。
コンパクトカーとは思えない操安性の高さ。それは昨今流行りの「GRヤリス」で証明されています。この手のコンパクトカーだと、スズキ・スイフトと操安性はいい勝負ができそうです。但し、動力性能的にはスイフトの方が上です。いずれも乗車中は狭いし圧迫感がありますが、操安性や剛性については、200psぐらいまで出力を上げても問題なさそうな感じでした。
「GRヤリス」は、名前こそ「ヤリス」ですが、トヨタのTNGAプラットフォームは一緒でも一部で格上のカローラなどが使うものも採用されているので、中身は全く別の車。色々と調べていると、iMTもノーマルの「ヤリス」と比べて耐久レースで鍛えられているものが採用され、ハブもけっこう強いようです。中身だと往年の名車、三菱・ランサーエボリューションに似た部分もあります。
Instagramの方でよく閲覧する海外のランエボユーザーの方がいきなりGRヤリスに乗り換えているなど、評判は上々のようです。ネット上の動画も見ていると、まずもって高評価が得られる車です。
しかも、攻撃的なエクステリアの割には、シニア層の需要が多くあり、50代や60代の方の保有率も高いとのこと。荷物を積めるコンパクトカーとしてみるならホンダ・フィットですが、そうでなければ、ヤリスで十分です。


話題は逸れてしまいましたが、トロッコ王国の様子です。
事前に調べないで行ったので、冬季休業になってしまっていました。来年にでもリベンジしたいです。

実は、かつて美幸(びこう)線の仁宇布駅跡に設けられたのです。35年前、ここは美幸線の終着駅でした。

美深方を見ます。春先になれば、またトロッコが線路を走るようになるでしょう。管理者も一度見てみたいです。

トロッコ王国前には記念碑もありました。
「美」は美深町の美、「幸」は北見枝幸の幸で美幸線です。元々は北見枝幸まで結ぶ計画があった路線でした。同線の目的は、北海道北部開発の拠点であった北見枝幸と宗谷本線を短絡する目的で計画された路線です。また、札幌や旭川といった大都市へも、美幸線がなければ、興浜北線が天北線の浜頓別駅に接続して南下するルートか、全通が予定されていた興浜線が雄武(おむ)で興浜南線に接続し、興部で名寄本線に接続する2通りがありましたが、いずれも遠回りで長年にわたって請願が続けられていました。
1976年に全線開業予定でしたが、1979年に完成間近で工事は凍結され、全線開業には至りませんでした。路盤がほぼ完成していた北見枝幸~歌登間を先行開業させる動きも一時ありましたが、興浜線などのように分断されたままになることを危惧した沿線は、あくまで一括開業にこだわり、結局開業することなく廃止されました。
元々は北見枝幸と札幌や旭川を短絡する目的の路線だったため、部分開業は想定されておらず、既開業区間の輸送は極めて少なく、国鉄最悪レベルの赤字路線となりました。営業係数(100円の営業収入を得るのにどれだけの営業費用を要するかを表す指数)も晩年は4,731、輸送密度は24人/日でした。
実際に並行する道路を走ってみると、途中駅があった場所でも民家(農家)は数軒で、原則として民家がない場所をゆく路線でした。もちろん、1981年に第1次特定地方交通線に指定され、1985年9月17日に廃止されました。
この第1次特定地方交通線に指定された際にも、よく美幸線は九州の添田線と比較されることがありますが、添田線は1日の利用者は200人を上回っていたのに対し、美幸線は第1次特定地方交通線の中で唯一、1日の利用者が100人を切っていた路線でした。
100円の収入を得るのに、5,000円弱損失しなければなりません。
極端な例ですが、皆さん、そのような状況でも鉄道は本当に必要でしょうか??


仁宇布は小集落があるのみです。人は歩いておらず、数分に一度車が1台走り抜けていきます。あくまで通過点です。コンビニもありません。
美深市街までは20km以上あります。仁宇布在住の方は、果たしてどこまで日頃買い出しに行くのでしょうか??やはり美深市街まで車を走らせているのでしょうか??毎回がちょっとしたドライブです。
こうして、かつての廃線を見に行くと、本当に鉄道が必要なのかどうかがわかります。鉄道の使命は「大量輸送」にありますから、この使命が果たされない以上、役割を終えてもよいのです。
美幸線は短絡目的でしたが、北海道の場合、石炭産業などの維持拡大のため国策で鉄道が敷かれ、人口密度を度外視して鉄道ができた歴史的経緯があります。しかも戦争の時期と重なり、不要不急路線としてレールが撤去、開業が先送りされ、結局は工事が凍結のまま廃止になったり、開通しても今度は過疎化や沿線産業の衰退、トラック輸送へシフトされるなどで鉄道路線としての意味がなくなり、結局短命に終わってしまった路線がほとんどでした。
国鉄敷設法が施行された当初は、北海道は道路が普及していなかったと思われ、産業の推進と合わせて道内に細かく路線が敷かれていったと思います。しかし、道路が急速に普及し、輸送手段としてトラックが急速に普及すると、輸送コストのかかる鉄道は敬遠され、産業の輸送のために生まれた路線は使命を終えていきました。
なので、万が一にもそうした産業のために生まれた路線を維持していくためには、やはり沿線人口を増やし、定期的な利用者を確保するしかありません。現状ではとても難しいことです。
北海道では、路線の廃止の動きが示される度に、JR側と路線廃止反対側に対立する動きが見られます。JR側を擁護するわけではありませんが、JR北海道が実施している路線の整理は、国鉄時代に実施されたものからすると基準は低くいです。そして、北海道では、そうした産業優先で人口を度外視してできた路線もあることを踏まえたうえで、今後も調整してもらいたいと思います。
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急遽レンタカーで。
以前お伝えしたとおり、名寄駅前で特急「宗谷」を撮影したのはいいものの、折り返しの時間まで暇になってしまいました。キマロキでも見て暇を潰そうと思いきや、それにしても暇だと。
そこで、トロッコ王国のある美深町仁宇布まで往復できないかと思い、名寄駅周辺で聞いていると、美深町を通り越して恩根内までの路線バスはあるものの、美深町市街から仁宇布までのバスが事前予約制で、しかも日曜運休ということで諦めていたところ、駅前にレンタカー屋があり、夕方までに旭川駅前に返却するという条件で特別にお借りし、急遽行くことができました。
しかも借りれたのは新車のトヨタ・ヤリス。先代モデルは「ヴィッツ」です。
コンパクトカーとは思えない操安性の高さ。それは昨今流行りの「GRヤリス」で証明されています。この手のコンパクトカーだと、スズキ・スイフトと操安性はいい勝負ができそうです。但し、動力性能的にはスイフトの方が上です。いずれも乗車中は狭いし圧迫感がありますが、操安性や剛性については、200psぐらいまで出力を上げても問題なさそうな感じでした。
「GRヤリス」は、名前こそ「ヤリス」ですが、トヨタのTNGAプラットフォームは一緒でも一部で格上のカローラなどが使うものも採用されているので、中身は全く別の車。色々と調べていると、iMTもノーマルの「ヤリス」と比べて耐久レースで鍛えられているものが採用され、ハブもけっこう強いようです。中身だと往年の名車、三菱・ランサーエボリューションに似た部分もあります。
Instagramの方でよく閲覧する海外のランエボユーザーの方がいきなりGRヤリスに乗り換えているなど、評判は上々のようです。ネット上の動画も見ていると、まずもって高評価が得られる車です。
しかも、攻撃的なエクステリアの割には、シニア層の需要が多くあり、50代や60代の方の保有率も高いとのこと。荷物を積めるコンパクトカーとしてみるならホンダ・フィットですが、そうでなければ、ヤリスで十分です。


話題は逸れてしまいましたが、トロッコ王国の様子です。
事前に調べないで行ったので、冬季休業になってしまっていました。来年にでもリベンジしたいです。

実は、かつて美幸(びこう)線の仁宇布駅跡に設けられたのです。35年前、ここは美幸線の終着駅でした。

美深方を見ます。春先になれば、またトロッコが線路を走るようになるでしょう。管理者も一度見てみたいです。

トロッコ王国前には記念碑もありました。
「美」は美深町の美、「幸」は北見枝幸の幸で美幸線です。元々は北見枝幸まで結ぶ計画があった路線でした。同線の目的は、北海道北部開発の拠点であった北見枝幸と宗谷本線を短絡する目的で計画された路線です。また、札幌や旭川といった大都市へも、美幸線がなければ、興浜北線が天北線の浜頓別駅に接続して南下するルートか、全通が予定されていた興浜線が雄武(おむ)で興浜南線に接続し、興部で名寄本線に接続する2通りがありましたが、いずれも遠回りで長年にわたって請願が続けられていました。
1976年に全線開業予定でしたが、1979年に完成間近で工事は凍結され、全線開業には至りませんでした。路盤がほぼ完成していた北見枝幸~歌登間を先行開業させる動きも一時ありましたが、興浜線などのように分断されたままになることを危惧した沿線は、あくまで一括開業にこだわり、結局開業することなく廃止されました。
元々は北見枝幸と札幌や旭川を短絡する目的の路線だったため、部分開業は想定されておらず、既開業区間の輸送は極めて少なく、国鉄最悪レベルの赤字路線となりました。営業係数(100円の営業収入を得るのにどれだけの営業費用を要するかを表す指数)も晩年は4,731、輸送密度は24人/日でした。
実際に並行する道路を走ってみると、途中駅があった場所でも民家(農家)は数軒で、原則として民家がない場所をゆく路線でした。もちろん、1981年に第1次特定地方交通線に指定され、1985年9月17日に廃止されました。
この第1次特定地方交通線に指定された際にも、よく美幸線は九州の添田線と比較されることがありますが、添田線は1日の利用者は200人を上回っていたのに対し、美幸線は第1次特定地方交通線の中で唯一、1日の利用者が100人を切っていた路線でした。
100円の収入を得るのに、5,000円弱損失しなければなりません。
極端な例ですが、皆さん、そのような状況でも鉄道は本当に必要でしょうか??


仁宇布は小集落があるのみです。人は歩いておらず、数分に一度車が1台走り抜けていきます。あくまで通過点です。コンビニもありません。
美深市街までは20km以上あります。仁宇布在住の方は、果たしてどこまで日頃買い出しに行くのでしょうか??やはり美深市街まで車を走らせているのでしょうか??毎回がちょっとしたドライブです。
こうして、かつての廃線を見に行くと、本当に鉄道が必要なのかどうかがわかります。鉄道の使命は「大量輸送」にありますから、この使命が果たされない以上、役割を終えてもよいのです。
美幸線は短絡目的でしたが、北海道の場合、石炭産業などの維持拡大のため国策で鉄道が敷かれ、人口密度を度外視して鉄道ができた歴史的経緯があります。しかも戦争の時期と重なり、不要不急路線としてレールが撤去、開業が先送りされ、結局は工事が凍結のまま廃止になったり、開通しても今度は過疎化や沿線産業の衰退、トラック輸送へシフトされるなどで鉄道路線としての意味がなくなり、結局短命に終わってしまった路線がほとんどでした。
国鉄敷設法が施行された当初は、北海道は道路が普及していなかったと思われ、産業の推進と合わせて道内に細かく路線が敷かれていったと思います。しかし、道路が急速に普及し、輸送手段としてトラックが急速に普及すると、輸送コストのかかる鉄道は敬遠され、産業の輸送のために生まれた路線は使命を終えていきました。
なので、万が一にもそうした産業のために生まれた路線を維持していくためには、やはり沿線人口を増やし、定期的な利用者を確保するしかありません。現状ではとても難しいことです。
北海道では、路線の廃止の動きが示される度に、JR側と路線廃止反対側に対立する動きが見られます。JR側を擁護するわけではありませんが、JR北海道が実施している路線の整理は、国鉄時代に実施されたものからすると基準は低くいです。そして、北海道では、そうした産業優先で人口を度外視してできた路線もあることを踏まえたうえで、今後も調整してもらいたいと思います。
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