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フラノエクスプレスのもう1つの顔!!ANAビッグスニーカートレイン

20年以上前の年明け直後の話でもしましょうか。



2013年の秋頃、突如苗穂工場の敷地に姿を現した「フラノエクスプレス」。

1998年にラストランを実施し、現役を引退しましたが、正式な廃車は2004年まで先送りされました。写真の先頭車のみ、2015年まで残り、解体されています。

最後の1両については、今までどこに保管されていたのか不思議でしょうがなく、突如苗穂に行った際に目の前に留置されていたので驚いたことを覚えています。噂では、苗穂を離れて滝川の車庫に保管されている等、ネットでも情報を集めましたが、解体されたような話は聞かず、その所在が気になっていました。

トマムサホロエクスプレスの食堂車も長年苗穂工場で保管されていたようです。一説には、扇形庫の中で保管されていたのでは?という情報もあり、同車もその中で保管されていたのかもしれませんね。

それにしても、車籍抹消から11年間保管していた理由が気になるところです。もしかしたら保存する計画も持ち上がっていたのかもしれませんが、残念ながら2015年といえばJR北海道がまだまだ大変な時期で、そうした貴重な鉄道遺産も次々に解体していた時期です。

でも、フラノエクスプレスについては、やはり保存すべき車両だったといまだに思います。理由は、ジョイフルトレインという特殊な車両の中でも、列車のイラストや鉄道模型、プラレールといった模型やおもちゃまで製品化されたことです。当時としては珍しかったです。

今でこそ鉄道模型メーカーは、そうしたマニアックな商品も製作するようになりましたが、当時は「サロンエクスプレス東京」か「フラノエクスプレス」かの2択だったと思います。そこに度々「サロンカーなにわ」が入ってくる程度だったと記憶しています。なので、鉄道ファンのみならず、万人に愛された車両という点では、何らかの形で保存すべきだったと思います。それが叶わず非常に残念です。

管理者はフラノエクスプレスの実車を走っている姿は見たことがありません。鉄道という趣味に火がついた頃には、もう引退していました。

鉄道という趣味があれば、避けては通れない「プラレール」。フラノエクスプレスも製品化されていました。

もう20年以上前、クリスマスにプラレールの絵本を買ってもらったんです。その絵本は、当時管理者にとって衝撃を受けました。写真でありながら、鉄道模型のようにジオラマの中をプラレールが走っている姿を再現しているのです。いつかは管理者もこうした世界でプラレールを走らせてみたい、そう思うようになりました。

一方、数少ない北海道の車両ということでフラノエクスプレスもほしかった製品の1つでした。巻末に古い製品が記載されており、まもなく生産を終える製品たちがずら~っと並べられていたのです。その中にフラノエクスプレスがあり、その後本気で探して手に入れました。

それだけではありません。そこでようやく、もう1つのフラノエクスプレスも見つけたのです。



フツーのフラノエクスプレスがこちら。



そして、新たに見つけたのがこちらです。それまで、フラノエクスプレスが2種類あったとは全く知りませんでした。

その後、絵本を買い集め、ようやくその名前を知ることができました。

正式名称は「ANAビッグスニーカートレイン」です。名前がわからなかったので、当時は幼稚園に入ったか、入らなかったとき「青いフラノエクスプレス」と言っていました。



ネットで調べても出てきます。側面のピンク色のラインから、青色のラインに変わっています。ロゴも変更されており、前面も「Furano EXPRESS」から「ANA」に変わっています。名前が判明次第、すぐに探しました。ちょうど年明けの初セールが実施されていたときで、おもちゃ屋を何軒も回った記憶があります。

それでも、最初に買ってもらった生産を終えるという絵本から少なくとも1年は経過していました。当時はまだインターネットが世の中に出回り始めた頃ぐらいで、もちろんネット通販なんてまだ存在しない時代。今でこそお金さえあれば見つけることはできますが、当時は悔しい思いをしました。



実際に調べてみると、ラインとロゴが違うだけでウリ二つです。これが欲しかったんです。でも手に入れることができませんでした。鉄道模型でもKATOから製品化されていませんでしたっけ?かなりマニアックな製品です。

名前を知らない当時、「青いフラノエクスプレス」と言っても伝わらず、、、



いつも「この車両ではないか??」と疑われたものです。これも懐かしいですね、「名鉄ブルーライナー」。形状もほとんど似ているのでこれと誤解されていたのです。

イラストつきの絵本が手に入った際は、真っ先に伝えにいきましたよ。そうすると、「説明の仕方が悪い」と言われました。幼稚園に入るか、入らないかの時期でフラノエクスプレスとビッグスニーカートレインの違いを説明せいと言われても「わからんっちゅうねん!!」みたいな感じでした。

鉄道が無知な大人に両者の違いを説明するには、どうしたらよいでしょうか?しかも5歳前後で。

幼稚園児になったつもりで説明できる方いますか??いらっしゃいましたらコメントください。

もちろん天才の幼稚園児ではなかったので、「全日空ANAとタイアップした・・・」みたいな説明は無理ですよ。今の管理者でも伝えるのは難しいですよ。そうやって欲しかった製品を逃したことがありました。


それにしても、今見てもカッコいいです。本家フラノエクスプレスよりもカッコいいです。

運行していたのは1987年6月1日から10月31日まで、全日空ANAとタイアップし、全日空ツアー乗客用の「ANAビッグスニーカートレイン」として運行したようです。このときに「キハ82-110」を種車として車体を新造し、「キハ80-501」として4両編成が組まれました。フラノエクスプレスも登場時は3両編成でしたが、以降、フラノエクスプレスに戻された際も4両編成での運行となったようです。

元々は周遊バス「ANAビッグスニーカー号」として運行されていたようですが、それを鉄道車両に置き換えたようです。

苗穂工場では、ANAビッグスニーカートレインのイラストが展示されており、鉄道技術館の開館日に見ることができます。憧れの車両であり、20年前の年明けの壮絶なプラレール探し。思い出したので記事を作成してみました。


国鉄分割民営化からしばらくの間は、臨時列車用の車両を次々に製作し、一方で高速化の波に乗り始め、JR北海道はイケイケ状態でした。今思うと常に毎日何かしら面白い列車が走っているようなイメージしかありません。不採算路線も引き続き抱えながらも、そうした観光と高速化で収益がとれると思っていたんでしょうね。

それが徐々に後回しにされて実際はそのツケが現在に回ってきました。でも、分割民営化当初か、昨今のように長期を見据えた鉄道経営をすると、間違いなくこうした名車は出てこなかったはず。逆に、不採算路線の見直しや整理を後回しにしたからこそ、そうした名車が次々と生まれたのかもしれません。そのあたりは、良い点も悪い点もありますよね。



フラノエクスプレスなどのジョイフルトレインが今の形となったのがこちら。キハ261系5000番台はまなす編成です。今年2月にはラベンダー編成も札幌入りするでしょう。

wi-fiも設置され、性能も最新のキハ261系と同等のダイヤを組むことができます。製造費用も1両あたり4億円です。一見フラノエクスプレスよりも豪華そうに見えますが、あくまで既存車のキャリーオーバー。特別感というのが、やはりかつてのジョイフルトレインよりは薄れてしまいます。やはり長期的なメンテナンスをあまり考慮しないワンオフ構造、定期列車に使わない等、「宗谷」・「サロベツ」のように機会があればいつでも乗れるような車両とは違うので、やはりかつての車両の方が特別感はありますよね。


ということで、引き続きコロナ禍ですが、新年の記事1発目を作成しました。またしばらくリアルタイムの記事は更新できなさそうです。

幅広い世代に閲覧していただくことができるのでしょうか??試行錯誤の始まりです。。。











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コメント
9977:ANAビッグスニーカートレイン! by 天寧 on 2021/01/02 at 12:42:18 (コメント編集)

こんにちは。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、ANAビッグスニーカートレインについては鉄道ジャーナル1987年9月号のJR北海道特集で乗車記録が載せられていましたので私も当時関心を持って見ていました。
まさに「青いフラノエクスプレス」ですね。当時はバブル期の始まった頃で北海道全体がイケイケムード。私はまだ18歳でしたが、好景気の恩恵にはずいぶんとあずかりましたよ。もちろんフラノエクスプレスにも乗車しています。先頭席の展望、ロビーの居住性、どれをとってもGood!結局、当時のリゾート列車六天王にはすべて乗ることができました。「はまなす編成」には乗れるかな~?
国鉄時代からJR発足後のしばらく、フラノエクスプレスは函ハコの配置でした。使用線区から言っても不思議でしたが、何か理由があったんでしょうね。

9979: by ハナ on 2021/01/02 at 18:24:14 (コメント編集)

フラノ先頭車が滝川で保管されてるウワサは長らく語られてましたが回送も含めた写真も出てなくガセかと思いましたが通い慣れた富良野に近く広い車庫だし強ちガセじゃないのかな?と思います。711系試作車が滝川で留置されていた時期とも被っていましたので何か運命も感じます。
暫く苗穂で放置され月日が経つにつれ劣化が目立ち過去の栄光が無残に見えるのは痛々しい姿でした。
ビックスニーカートレインとしては道内各地を走っていたのが懐かしいですね。まだレンタカー移動が主流じゃない時代だからこそのスケールの大きなタイアップトレインですね。
当時は不採算路線はあったけど幹線との接続も悪くない中で運行していたのも国鉄の流れが色濃くあったからでしょうか。

9980:すっごくカッコいい列車でした‼︎ by ニスモ on 2021/01/02 at 22:45:54

管理人様、あけましておめでとうございます。あまり無理をなさらず投稿をしてくださいね。
話がそれてしまいましたが、ANAビッグスニーカートレイン、何度も見た事があります。
私が小学校6年生の夏休みに、女満別町の祖母の家から特急オホーツク2号に乗って札幌駅に着いて札幌駅で写真を撮っていた時に、ホームにビッグスニーカートレインが入線して来ました。あまりのカッコ良さにびっくりしました。当時は今と違ってヘッドライトの日中の点灯をしていなかったので、札幌駅で折り返しで運転手さんが運転席に乗り込む時に『すいません。ライト点けてもらえますか?』と、お願いしたところ『ライト?いいよ』と、心良くオッケーしてくださり、カッコ良いビッグスニーカートレインがヘッドライトを点灯させて更にカッコ良くなり、何枚も写真を撮った事を30年以上経った今でもはっきりと覚えています。
鉄道模型では、トミックスとカトーから製品化されてました。カトーはトミックスと違って室内照明ユニットが確か標準装備されていたはずです。もちろん今は絶版になってしまいましたが、今でも買っておけば良かったと後悔してます。長々と大変失礼致しました。

9982: by 管理人 on 2021/01/03 at 00:41:39

>>「天寧」さん、コメントありがとうございます。

今年もよろしくお願いします。

短期間の輸送のために外装を変更する力の入れよう。現在では考えられないです。はまなす編成が充当されるとしたら、外装はそのまま運行するでしょう。

はまなす編成とは異なり、好景気の時代の車両ですから、室内は「ゴージャス」というのが正しい表現かもしれません。JR北海道としてもアルコンとして成功を収め、車両のデザインや改造に力を入れていた時代です。昨今悲しい状況ですが、逆に後先考えずにイケイケ状態だったからこそ、そうした名車が次々と生まれたのかもしれませんね。

フラノエクスプレスが函館配置だったとは驚きました。当時考えられるとすれば、本州から迎え入れるための臨時列車を走らせていた可能性があるということぐらいでしょうか?そのために函館に滞泊する必要があったことぐらいしか想像がつきません。いずれにしても初めて知りました。教えていただき、ありがとうございます。

9984: by 管理人 on 2021/01/03 at 01:01:16

>>「ハナ」さん、コメントありがとうございます。

滝川で保管されている等、いろいろ噂はありましたが、苗穂に戻ってきた等の情報もないので、苗穂の敷地内のどこかで保管されていたのだと思います。

解体前は無惨な姿でしたが、それでもカッコよく見えました。実車を見たことがなかったので、姿を現した瞬間は嬉しかったですよ。

当時の移動手段は現在のように各々でレンタカーで移動する時代ではなく、団体ツアーがほとんどで、バスか鉄道がメインでした。現在ではこうした特別列車の運行は難しいと思います。

不採算路線については、ほとんどが幹線の列車と接続を図っていたと思います。その不採算路線内の輸送効率が最悪でしたよね、深名線とか。同じ幌加内町なのに北母子里と幌加内を往復できないとか?そんな話も聞きましたよ。

9985: by 管理人 on 2021/01/03 at 01:07:13

>>「ニスモ」さん、コメントありがとうございます。

今年もよろしくお願いします。

ビッグスニーカーが走っていた頃は、管理者はこの世にいません。プラレールで初めて見たときは衝撃を受けました。おもちゃで衝撃を受けるのであれば、実車はさぞカッコよかったと思います。羨ましいです。

フラノエクスプレスはKATOとTOMIXから製品化されていたと思います。以前ネットか雑誌で両者を比較した内容のものを見たことがありますが、室内照明ユニットが装備されていること、細部の造り込みなどでKATOの方が評価が高かったと思います。ビッグスニーカーはKATOからも製品化されていませんでしたっけ??

今はネットでも買えますが、高額で取引されていることがほとんどで管理者も諦めています。もう一度再生産を望みたいですが、マニアックさゆえ、もう出てこないと諦めています。残された写真で堪能するしかなさそうです。

9989: by 龍 on 2021/01/03 at 16:01:19 (コメント編集)

北海道のキハ80系は、元々函館と札幌に分散して配置されていました。キハ183系の増備によって、札幌の車両は1983年11月2日までに全て転属または廃車となり配置がなくなっていたため、定期運用が終了した1986年11月1日のダイヤ改正の時点で残っていた車両は全て函館配置でした。

「フラノエクスプレス」は、波動輸送用または余剰車(廃車予定の保留車)として残っていたこれらのキハ80系を改造して登場しました。そのため、編成が登場した当初は種車から引き続き函館に配置されていたのです。

・1986年12月12日:3両(キハ80-164→キハ84-1、キハ80-165→キハ84-2、キハ82-109→キハ83-1)が「フラノエクスプレス」に改造。函館に配置。
・1986年12月20日:「フラノエクスプレス」が営業運転開始。

その後、余剰車が大量に廃車となり、国鉄分割民営化(1987年4月1日)時点では函館配置の「フラノエクスプレス」3両(キハ84-1・2、キハ83-1)と一般車15両(キハ82-80・81・86・102・108・109、キハ80-144・152・156・160・161・166、キシ80-29・36・37)の合計18両がJR北海道に引き継がれました。

JR北海道発足後、キハ80系を種車に「フラノエクスプレス」の増備車と「トマムサホロエクスプレス」が改造されます。これらも種車から引き続き函館配置としての登場でした。

・1987年5月27日:1両(キハ82-110→キハ80-501)が「フラノエクスプレス」に改造。函館に配置。「フラノエクスプレス」はこれで全4両の改造が完了。
・1987年6月1日〜10月31日:「フラノエクスプレス」の4両が「ANAビッグスニーカートレイン」として運転。
・1987年12月10日:3両(キハ80-160→キハ84-101、キハ80-166→キハ84-102、キハ82-86→キハ83-101)が「トマムサホロエクスプレス」に改造。函館に配置。
・1987年12月19日:「トマムサホロエクスプレス」が営業運転開始。

そして、青函トンネルが開通した1988年3月13日以降、函館のキハ80系は順次苗穂へ転属しました。また、苗穂へ転属後に「トマムサホロエクスプレス」の増備車が追加改造されました。

・1988年3月13日:「フラノエクスプレス」の4両(キハ84-1・2、キハ83-1、キハ80-501)、「トマムサホロエクスプレス」の3両(キハ84-101・102、キハ83-101)、一般車の2両(キハ82-80、キシ80-29)が函館から苗穂に転属。
・1988年3月14日:一般車の7両(キハ82-81・102・108・161、キハ80-144・152・156)が函館から苗穂に転属。
・1988年3月某日:一般車の2両(キシ80-36・37)が函館から苗穂に転属。これで函館からキハ80系の配置がなくなる。
・1988年3月30日:1両(キシ80-29→キシ80-501)が「トマムサホロエクスプレス」に改造。苗穂に配置。
・1988年5月31日:1両(キハ82-80→キハ83-102)が「トマムサホロエクスプレス」に改造。苗穂に配置。これで「トマムサホロエクスプレス」は全5両の改造が完了。
・1990年1月:「フラノエクスプレス」にキハ183系1両(キハ184-11)を塗装変更の上で増結し、このシーズンのみ5両編成で運転。キハ184-11は後に元の仕様に戻されたが、1994年2月22日に特急「おおぞら10号」として運用中に根室本線の西新得信号場〜広内信号場間で強風に煽られて脱線・横転(1994年3月30日付で罹災廃車)。

苗穂に転属した後、一般車の9両は波動輸送用として臨時の特急「北斗」などに使用され、1992年9月25日〜28日の団体専用列車を最後に運用終了。全て廃車となりました。

・1990年2月14日:一般車の4両(キハ82-81、キハ80-156、キシ80-36・37)が廃車。
・1992年10月2日:一般車の5両(キハ82-102・108、キハ80-144・152・161)が廃車。

「フラノエクスプレス」と「トマムサホロエクスプレス」もそれぞれ営業運転を終了し、廃車となりました。一部の車両は保存を考慮したのか、廃車後も苗穂工場にしばらく留置されていました。「フラノエクスプレス」のキハ84-1は車籍抹消直後の2004年11月6日、滝川駅から苗穂工場へ搬出されてきたのが確認されています。しかし、結局これらの車両も全て解体され、現在は1両もありません。

・1998年11月1日:同日運転の「ラストラン・フラノ」を最後に「フラノエクスプレス」が営業運転終了。
・1998年冬:スキー客の減少に伴い、「トマムサホロエクスプレス」の2両(キハ83-102、キシ80-501)が編成から外れる。以降、営業運転終了まで3両編成で使用された。
・1999年〜2002年8月:「トマムサホロエクスプレス」の3両が「マウントレイク」仕様として運用。
・2002年9月14日〜10月14日:「トマムサホロエクスプレス」が元の塗装に戻され、同期間中の毎週末に実施したさよなら運転を最後に営業運転終了。これがキハ80系の最後の営業運転となった。
・2004年3月24日:「トマムサホロエクスプレス」の4両(キハ84-101・102、キハ83-101・102)が廃車。
・2004年9月27日:「フラノエクスプレス」の4両(キハ84-1・2、キハ83-1、キハ80-501)が廃車。「フラノエクスプレス」の全車両が車籍抹消。
・2007年6月6日:「トマムサホロエクスプレス」の1両(キシ80-501)が廃車。これで「トマムサホロエクスプレス」の全車両が車籍抹消となり、同時にキハ80系も全て車籍抹消。
・2013年9月〜10月:苗穂工場に留置されていた「トマムサホロエクスプレス」の2両(キハ84‐101、キシ80-501)が解体。
・2015年:苗穂工場に留置されていた「フラノエクスプレス」の1両(キハ84-1)が解体。

なお、苗穂工場の北海道鉄道技術館にはキハ82-86の前頭部が保存されています。これは、「トマムサホロエクスプレス」のキハ83-101に改造される際に取り外された前頭部をカットモデルとしてそのまま展示しているものです。

9993: by 管理人 on 2021/01/04 at 01:39:46

>>「龍」さん、コメントありがとうございます。

詳しい情報をありがとうございます。管理者が知らない時代の内容なので、いただいたコメント資料は大変助かります。

函館配置とはいえ、運行エリアを考えれば、札幌や苗穂に常駐しているときもあったはずです。今となっては不思議な配置方法ですよね。

滝川で保管されているという情報をキャッチしたのは、廃車になるか、ならないかの時期でした。現役引退後も車籍が残っており、道内のどこかにはいるはず、、、と思ってネット上を探し回った記憶があります。車籍が残っているということは、基本的には車両も現存しているはずですから、最後の様子がネット上でアップされていないか見たかったのです。

結局先頭車1両だけ行方がわかっただけで、残り3両は行方不明。滝川で解体されたのでしょうか?

いずれにしても、昔の興味のある出来事だったので取り上げました。全容解明までいきませんが、ある程度払拭できた気がします。ありがとうございます。

10007:なつかしい by 南の虎 on 2021/01/05 at 18:11:27

ANAビッグスニーカー。鉄道と航空のコラボ。
北海道の鉄道の新たな境地と思ったものです。知床斜里まで乗り入れたりしていましたね。
本州では、こうしたジョイトレは、団体専用でしかなく、しかもグリーン車扱いで、子供が乗れるような代物ではなかったので、つまらなく思っていましたが、道内では、この「フラノ・ANAビッグスニーカー」「アルコン」「トマサホ」までが改造で、一般客も乗せ、それも普通車というのが画期的でしたね。北海道の鉄道へのあこがれを醸成した功労者だと思います。

JR北は、これらの成功に気を良くして「クリスタル」「ニセコ」「NRE」を新造(時系列バラバラで恐縮です)。
そして、この「クリスタル」以降のN183系テクノロジーを駆使した列車も殆どが引退、最後に残ったNREもそろそろ引退の噂が流れるようになりました。

JR北によるジョイトレ風観光列車の歴史はNREで終わりかなと思っていたのですが、「はまなす」を新造してくれました。
これからは「はまなす」の時代になります。まだそういう観光用列車を、それも新造して用意してくれるだけJR北には感謝ですね。

フラノ、私が乗れたのはたった1回にすぎませんでしたが、あのとき高い展望室から前面展望を堪能したのはビデオにも撮っており、忘れられません。

10016: by 管理人 on 2021/01/06 at 20:11:15

>>「南の虎」さん、コメントありがとうございます。

知床斜里まで行っていたんですか!?運行区間はわかりませんでした。教えていただき、ありがとうございます。

北海道の場合、本州のジョイトレのようにグリーン席にしてしまうと高額になることを懸念し、普通車で登場させました。全国的にも珍しいケースだったと思います。

キハ183系リゾート気動車の後継車としてはまなす編成とラベンダー編成が新造されます。年間1/3が定期列車で使用される予定で、観光用車両が一般人により身近に浸透すると思います。新造とともにそれは嬉しい限りです。

近年は展望スペースを設けている鉄道車両は減り、バリアフリーの観点で床が高い車両は敬遠されています。そうした事情が考慮されていなかった良き時代ですよね。管理者は乗ったことがありません。全面展望羨ましいです、、、。

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