札沼線の終点だった新十津川駅
駅 - 2021年01月05日 (火)
今回は札沼線の終点だった新十津川駅について。「しんとつかわ」と読みます。



昨春の廃止まで、おそらく日本一最終列車の出発が早い駅だったと思います。元々は3往復の列車が発着していましたが、2016年3月ダイヤ改正を機に、本数が一気に1往復に減らされ、新十津川駅にやってくる列車は午前中のみに。最終列車は9時40分発でした。
2018年3月のダイヤ改正で新十津川駅発車時刻が10時ちょうどに繰り下げられています。
管理者もかつては、こうしたローカル線でも終着駅は大きな都市だったり、街だったりするものだと思っていましたが、ネットで新十津川駅を調べた途端、漠然として記憶があります。
終着駅にも関わらず、何もない。
駅員もいないということに衝撃を受けました。同時期にこちらも廃止された増毛駅についても調べていました。
理由は、もう20年くらい前に運行されていた「増毛エクスプレス」を思い出してのことです。当時はニセコエクスプレスで運行する列車にも関わらず、訳のわからない漢字表記の列車に充当されていたことを鮮明に覚えています。ニセコエクスプレスで運行されるのだから、増毛という場所はさぞ観光地なのかと思いきや、無人駅でホームも素っ気ない感じでこちらも衝撃を受けた記憶があります。
この頃あたりから、北海道の終着駅は想像していたものと違う感覚を覚えるようになります。
「行き止まりの駅=巨大都市、大きな街」という方程式が管理者の中で崩れていきました。
それから10数年が経過して、ようやく歴史や敷設された背景を少し調べるようになりました。北海道のローカル線の場合、産業や冬季などの厳しい時期の移動を考慮する目的で敷設された場合がほとんどで、産業が衰退したり、モータリゼーションが進展すれば、必然的に利用されない状況を生み出すことは国鉄分割民営化直後あたりで、既に結論が出ていたと思います。
札沼線の場合、新十津川駅の場合は約3km移動すると函館本線の滝川駅にたどり着くことができます。但し、新十津川町から滝川市へ行く場合、石狩川を横断しなければなりません。今でこそ道路(橋)もあり、路線バスも運行されて不便はありませんが、かつては巨大な石狩川を船で渡らなければなりませんでした。
しかもこれが昭和期まで続いたと聞きます。
冬季になると、河川が増水し、ときには渡ることが困難な場合もあったことでしょう。新十津川側が陸の孤島状態になることもあり、石狩沼田~現在の新十津川まで鉄道が敷設されたのを機に、北側と南側の双方から建設が進められ、1935年に全通しました。
しかし、太平洋戦争が激化すると、並行道路があって代替輸送が可能という理由で石狩当別~石狩沼田間が不要不急路線として撤去されました。
戦後、1956年までに全線で運行を再開しましたが、新十津川~石狩沼田間が利用不振によって先行して廃止され、以来、新十津川駅まで昨年の5月まで鉄道が運行されていました。

石狩月形以北は、交換設備がないので、当然新十津川駅も1面1線の棒線駅です。駅舎とホームの間隔が空いていることから、廃止された札沼線の他の駅同様、貨物積卸線を有していたと思います。

駅ホームから石狩沼田方を見ます。すっかり宅地化されており、レールが数百メートルほど延びているだけでした。


駅前では鉄道グッズを購入することができます。記念撮影もできましたよ。



駅前の様子。駅前には空知中央病院があります。
病院があるにも関わらず、通院で鉄道を使うことはほとんどなかったと思います。というか、使うことができませんでした。1往復しか設定されていないため、浦臼側から通院でやってきても帰りの列車に間に合わない場合もあったと思います。浦臼駅前までバスが通っており、滝川駅までのバスもあります。マイカーを保有していなくてもバスで移動可能だったこと、末期の利用者の大半が鉄道愛好家だったことを踏まえると、地元の足として存続するには厳しいものがありました。
かつて管理者も、日本一早い最終列車とブログ記事に表記してバッシングを受けたことがあります。でもなぜ、それでバッシングを受けなければならないのか。事実を記載しているだけです。
当時はまだ「鉄道路線を廃止にする=JR側の何の根拠もない強行策」のような雰囲気が流れていた時期でした。年数を経過していくにつれ、北海道の不採算路線問題が全国にまで知れ渡ると、昨今のように徐々に風潮が変わりつつあります。
そして、今春のダイヤ改正から、利用僅少な駅について、一部自治体管理に移行します。
これは大きなチャンスだと思います。
いかにして利用僅少の駅を維持することが難しいかということを自治体側は身をもって経験することになるでしょう。
おそらく、その自治体管理に移行する駅の中から、数年で廃止になる駅も出てくるはずです。どの沿線自治体も共通して財政難に苦しんでいるのは言うまでもありませんから、そのような中で、ほぼ利用がゼロの駅を年間数十万~数百万かけて維持するのは、どう考えても費用対効果のバランスがとれていません。
そうした機会を境に、道内における鉄道網の見直しが進展し、晩年の札沼線の末端区間のような実物大の模型を走らせているような状況を少なくしていく必要があります。
時間がかかってしまいましたが、札沼線末端区間の駅について全てお知らせすることができました。
新十津川駅の今後の予定について、駅舎は昨年の10月10日で閉鎖されました。駅舎は来年度中に解体される計画です。
駅跡地は市街地が分断されている状況であり、交通アクセスの改善、憩い・交流の場などを基本方針とし、道路の敷設などを盛り込んだ駅舎の跡地が整備される計画です。
なお、今年の5月に新庁舎への建て替えが予定されている新十津川町役場の庁舎南側前庭には、新十津川駅のプラットフォームが再現される予定です。
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昨春の廃止まで、おそらく日本一最終列車の出発が早い駅だったと思います。元々は3往復の列車が発着していましたが、2016年3月ダイヤ改正を機に、本数が一気に1往復に減らされ、新十津川駅にやってくる列車は午前中のみに。最終列車は9時40分発でした。
2018年3月のダイヤ改正で新十津川駅発車時刻が10時ちょうどに繰り下げられています。
管理者もかつては、こうしたローカル線でも終着駅は大きな都市だったり、街だったりするものだと思っていましたが、ネットで新十津川駅を調べた途端、漠然として記憶があります。
終着駅にも関わらず、何もない。
駅員もいないということに衝撃を受けました。同時期にこちらも廃止された増毛駅についても調べていました。
理由は、もう20年くらい前に運行されていた「増毛エクスプレス」を思い出してのことです。当時はニセコエクスプレスで運行する列車にも関わらず、訳のわからない漢字表記の列車に充当されていたことを鮮明に覚えています。ニセコエクスプレスで運行されるのだから、増毛という場所はさぞ観光地なのかと思いきや、無人駅でホームも素っ気ない感じでこちらも衝撃を受けた記憶があります。
この頃あたりから、北海道の終着駅は想像していたものと違う感覚を覚えるようになります。
「行き止まりの駅=巨大都市、大きな街」という方程式が管理者の中で崩れていきました。
それから10数年が経過して、ようやく歴史や敷設された背景を少し調べるようになりました。北海道のローカル線の場合、産業や冬季などの厳しい時期の移動を考慮する目的で敷設された場合がほとんどで、産業が衰退したり、モータリゼーションが進展すれば、必然的に利用されない状況を生み出すことは国鉄分割民営化直後あたりで、既に結論が出ていたと思います。
札沼線の場合、新十津川駅の場合は約3km移動すると函館本線の滝川駅にたどり着くことができます。但し、新十津川町から滝川市へ行く場合、石狩川を横断しなければなりません。今でこそ道路(橋)もあり、路線バスも運行されて不便はありませんが、かつては巨大な石狩川を船で渡らなければなりませんでした。
しかもこれが昭和期まで続いたと聞きます。
冬季になると、河川が増水し、ときには渡ることが困難な場合もあったことでしょう。新十津川側が陸の孤島状態になることもあり、石狩沼田~現在の新十津川まで鉄道が敷設されたのを機に、北側と南側の双方から建設が進められ、1935年に全通しました。
しかし、太平洋戦争が激化すると、並行道路があって代替輸送が可能という理由で石狩当別~石狩沼田間が不要不急路線として撤去されました。
戦後、1956年までに全線で運行を再開しましたが、新十津川~石狩沼田間が利用不振によって先行して廃止され、以来、新十津川駅まで昨年の5月まで鉄道が運行されていました。

石狩月形以北は、交換設備がないので、当然新十津川駅も1面1線の棒線駅です。駅舎とホームの間隔が空いていることから、廃止された札沼線の他の駅同様、貨物積卸線を有していたと思います。

駅ホームから石狩沼田方を見ます。すっかり宅地化されており、レールが数百メートルほど延びているだけでした。


駅前では鉄道グッズを購入することができます。記念撮影もできましたよ。



駅前の様子。駅前には空知中央病院があります。
病院があるにも関わらず、通院で鉄道を使うことはほとんどなかったと思います。というか、使うことができませんでした。1往復しか設定されていないため、浦臼側から通院でやってきても帰りの列車に間に合わない場合もあったと思います。浦臼駅前までバスが通っており、滝川駅までのバスもあります。マイカーを保有していなくてもバスで移動可能だったこと、末期の利用者の大半が鉄道愛好家だったことを踏まえると、地元の足として存続するには厳しいものがありました。
かつて管理者も、日本一早い最終列車とブログ記事に表記してバッシングを受けたことがあります。でもなぜ、それでバッシングを受けなければならないのか。事実を記載しているだけです。
当時はまだ「鉄道路線を廃止にする=JR側の何の根拠もない強行策」のような雰囲気が流れていた時期でした。年数を経過していくにつれ、北海道の不採算路線問題が全国にまで知れ渡ると、昨今のように徐々に風潮が変わりつつあります。
そして、今春のダイヤ改正から、利用僅少な駅について、一部自治体管理に移行します。
これは大きなチャンスだと思います。
いかにして利用僅少の駅を維持することが難しいかということを自治体側は身をもって経験することになるでしょう。
おそらく、その自治体管理に移行する駅の中から、数年で廃止になる駅も出てくるはずです。どの沿線自治体も共通して財政難に苦しんでいるのは言うまでもありませんから、そのような中で、ほぼ利用がゼロの駅を年間数十万~数百万かけて維持するのは、どう考えても費用対効果のバランスがとれていません。
そうした機会を境に、道内における鉄道網の見直しが進展し、晩年の札沼線の末端区間のような実物大の模型を走らせているような状況を少なくしていく必要があります。
時間がかかってしまいましたが、札沼線末端区間の駅について全てお知らせすることができました。
新十津川駅の今後の予定について、駅舎は昨年の10月10日で閉鎖されました。駅舎は来年度中に解体される計画です。
駅跡地は市街地が分断されている状況であり、交通アクセスの改善、憩い・交流の場などを基本方針とし、道路の敷設などを盛り込んだ駅舎の跡地が整備される計画です。
なお、今年の5月に新庁舎への建て替えが予定されている新十津川町役場の庁舎南側前庭には、新十津川駅のプラットフォームが再現される予定です。
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