3月ダイヤ改正前に廃止された宗谷本線・下士別駅(W43)
駅 - 2021年04月07日 (水)
今回は予約投稿記事です。
3月ダイヤ改正を前に廃止された宗谷本線の下士別駅について紹介します。
住所は士別市下士別町。士別駅から1つ名寄方の駅です。



今回はまず駅前の様子から。
隣は特急が停車する主要駅ですが、数km離れてしまうともう過疎地域になってしまいます。駅前は下士別の集落があるだけで、民家も数軒ほど。普通列車も一部は通過しました。
廃止前は名寄方面が5本、旭川方面が3本しか停車しませんでした。
昨日久しぶりに母親と晩ごはんを食べていると、幌延町のニュースが流れていたのです。核のごみを持ち込まないという内容だったと思いますが、そのニュースを見ていると、「幌延って今人住んでいるの??」って母親が言ってきたのです。
要は北海道人でもそういう感覚なんでしょうね。
一応「特急は全て停車する、あのあたりでは規模のデカい自治体」とは言っておきましたが、何十年も行かなければそのように感じても無理ありませんよね。
これは、母親だけでなく、道民の多くが思っていることだと思いますよ。
宗谷本線沿線だと、大きい拠点というか、規模の大きい自治体は士別市と名寄市です。宗谷本線では、名寄駅までは概ね本数が確保されていますが、名寄以北は列車の本数が極端に減り、沿線人口もさらに減ります。
北海道全体のうち、道北エリアは全体の4%前後しか人口がいません。4割ではありません。4%です。このことからも、人口希薄地帯ということがわかります。
3月ダイヤ改正を機に、廃止された駅然り、自治体管理に移行した駅も多くありました。要はJR北海道からそれらは戦力外通告を出された駅です。それほどもう利用者がおらず、駅周辺も人が住んでいないのです。
利用がなければ駅は設置する理由はありません。下士別駅のような小規模な駅でも除雪代などで年間の維持に数百万円かかるはずです。そのことを考えると、役目を終えていると言わざるを得ないのです。




その下士別駅はこのような感じです。1面1線の棒線駅でした。
一番最後の写真にあるとおり、1955年に下士別仮乗降場として開業しました。1959年11月に下士別駅として旅客駅へ昇格しています。ほとんどの仮乗降場が国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格しているのに対し、下士別駅については、旅客駅への昇格が早かった珍しい例です。
実は、先日の東六線駅の記事で訂正があり、東六線駅についても、旅客駅への昇格が国鉄分割民営化の際ではなく、1959年11月でした。記事は既に訂正してあります。お詫び致します。
東六線仮乗降場は1956年1月の開業です。実は両駅は開業も廃止もほぼ同時期になりました。路線が存続したという状況下で珍しい例だと思います。
利用状況は1992年の時点で1日の乗降客数は6名で、晩年における乗降人員調査では3名以下となっていました。大量輸送において威力を発揮する鉄道において、もはや駅としての役割は終えていました。
宗谷本線の駅紹介はまだまだ続きます。次回はいよいよ名寄以北へ。北星駅を紹介します。
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3月ダイヤ改正を前に廃止された宗谷本線の下士別駅について紹介します。
住所は士別市下士別町。士別駅から1つ名寄方の駅です。



今回はまず駅前の様子から。
隣は特急が停車する主要駅ですが、数km離れてしまうともう過疎地域になってしまいます。駅前は下士別の集落があるだけで、民家も数軒ほど。普通列車も一部は通過しました。
廃止前は名寄方面が5本、旭川方面が3本しか停車しませんでした。
昨日久しぶりに母親と晩ごはんを食べていると、幌延町のニュースが流れていたのです。核のごみを持ち込まないという内容だったと思いますが、そのニュースを見ていると、「幌延って今人住んでいるの??」って母親が言ってきたのです。
要は北海道人でもそういう感覚なんでしょうね。
一応「特急は全て停車する、あのあたりでは規模のデカい自治体」とは言っておきましたが、何十年も行かなければそのように感じても無理ありませんよね。
これは、母親だけでなく、道民の多くが思っていることだと思いますよ。
宗谷本線沿線だと、大きい拠点というか、規模の大きい自治体は士別市と名寄市です。宗谷本線では、名寄駅までは概ね本数が確保されていますが、名寄以北は列車の本数が極端に減り、沿線人口もさらに減ります。
北海道全体のうち、道北エリアは全体の4%前後しか人口がいません。4割ではありません。4%です。このことからも、人口希薄地帯ということがわかります。
3月ダイヤ改正を機に、廃止された駅然り、自治体管理に移行した駅も多くありました。要はJR北海道からそれらは戦力外通告を出された駅です。それほどもう利用者がおらず、駅周辺も人が住んでいないのです。
利用がなければ駅は設置する理由はありません。下士別駅のような小規模な駅でも除雪代などで年間の維持に数百万円かかるはずです。そのことを考えると、役目を終えていると言わざるを得ないのです。




その下士別駅はこのような感じです。1面1線の棒線駅でした。
一番最後の写真にあるとおり、1955年に下士別仮乗降場として開業しました。1959年11月に下士別駅として旅客駅へ昇格しています。ほとんどの仮乗降場が国鉄分割民営化と同時に旅客駅に昇格しているのに対し、下士別駅については、旅客駅への昇格が早かった珍しい例です。
実は、先日の東六線駅の記事で訂正があり、東六線駅についても、旅客駅への昇格が国鉄分割民営化の際ではなく、1959年11月でした。記事は既に訂正してあります。お詫び致します。
東六線仮乗降場は1956年1月の開業です。実は両駅は開業も廃止もほぼ同時期になりました。路線が存続したという状況下で珍しい例だと思います。
利用状況は1992年の時点で1日の乗降客数は6名で、晩年における乗降人員調査では3名以下となっていました。大量輸送において威力を発揮する鉄道において、もはや駅としての役割は終えていました。
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