【コラム】石勝線特急列車脱線火災事故から10年
コラム - 2021年05月27日 (木)
5月27日は、石勝線脱線火災事故が発生した日です。2011年5月27日(金)の21時55分頃に発生しました。ちょうど10年前です。
もちろん、当ブログの開設前の大事故でした。今のJR北海道の元凶となった事故でもあります。


今でも「石勝線脱線火災事故」と検索すると、写真が出てきます。消火後の車両の姿を確認したときは唖然としたものです。一躍全国ニュースにもなりましたね。
5月27日21時55分頃に、特急「スーパーおおぞら14号」が石勝線の新夕張~占冠間の清風山信号場付近を走行中に脱線し、第1ニニウトンネル内に停止後、列車から火災が発生しました。
乗務員は避難誘導ができず、利用客自身でドアを開けて降車し、徒歩でトンネル内から脱出しました。この事故によって、利用客78名と乗務員1名が負傷しました。大事故にも関わらず、死者が出なかったのが不幸中の幸いでした。
原因として、JR北海道では次のように説明しています。
【車輪の表面が急ブレーキ等により部分的に摩耗し、円形形状が不整となったため、振動により4両目の減速機を支える吊りピンが脱落。これにより4両目の減速機と推進軸が脱落し後部台車2軸が脱落、脱落した減速機の「かさ歯車」が衝撃したことにより、6両目の燃料タンクが破損。漏れ出した経由が飛散し、発電機付近で出火したものと考えられます。】
この大事故をきっかけに、事故後の対策として、現地の判断を最優先とする「緊急時のお客様避難誘導マニュアル」の策定や、トンネル設備の改善、車輪踏面の徹底した管理、車両に避難はしごや懐中電灯を設置しています。
そのほか、さまざまな検査基準の見直しや、車両メンテナンスに必要な時間を十分に確保すべく、減速運転による車両への負荷軽減や、減便による予備車両確保に努めています。
また、避難誘導訓練も実施しており、教育や訓練の充実を図っています。詳細は以下をご覧ください。

この脱線火災事故こそ、昨今のJR北海道につながる初めの出来事でした。これ以降、車両トラブルが相次いだり、軌道検査データの改ざんなどの不祥事にも見舞われるようになります。これらの問題を1つ1つ解決していく一方で、次は経営そのものがひっ迫し、これまで後回しにされてきたローカル輸送を中心とした経営改善に踏み切ることになります。
事故後に廃止された路線は、江差線の木古内~江差間、留萌本線の留萌~増毛間、夕張支線の新夕張~夕張間、札沼線の北海道医療大学~新十津川間、日高本線の鵡川~様似間です。利用が僅少している旅客駅についても廃止が進められ、今年3月のダイヤ改正では、一気に18駅が廃止に。自治体に維持管理に移行する駅が18駅に上るなど、大幅な改善がみられました。後者については、実質JR北海道から戦力外通告を受けた駅といっても過言ではないので、整理された駅の数は36駅とみた方がよいでしょう。
そして、現在も続いている留萌本線の深川~留萌間の存廃問題。存続するのか、廃止になるのか不明ですが、この問題が解決すれば、長らく不通になっている根室本線の東鹿越~新得間(上落合信号場間)の存廃問題に直面するでしょう。
この石勝線の脱線火災事故をきっかけに、安全運行という重要な基盤とともに、緊急時において迅速に対応できるようになりました。そして、それが教育・訓練という形で若手へと受け継がれていきます。この効果はすぐに出るわけではありませんが、例えば、その教育・訓練を受けた若手社員が後々会社を引っ張っていく存在になった際、どんな状況下でも対応できるJR北海道になっている可能性だってあるのです。
事故が起きてよかったわけではありませんが、事故をきっかけにより良い方向へ向かっていることは事実です。この効果が出るまでまだまだ長い年月がかかりますが、後々大きく評価されることは言うまでもありません。


火災事故で焼失したキハ283系の6両編成は、車体を切断したうえで現地からトラックで運ばれました。一部車両は今も残されています。あくまでカットボディですが、JR函館本線の稲穂駅前に新たに設けられた社員研修センター内に「安全研修館」を設置しており、そこに教材用として展示されているようです。
一連の事故・事象・事業改善命令・監督命令を受けた会社の現状を振り返るとともに、安全についての考え方を理解し、安全意識及びコンプライアンス意識を醸成することを目的とした第Ⅱ期安全研修のために設置された施設です。
事故に関連する実物の展示をはじめ、大型グラフィック、事故当時の新聞記事、事故を経験した社員・関係者が語る体験談により、事故当時の状況、事故・事象の重大さについて身をもって体得してもらう施設となっています。
安全意識を継続して高め、安全風土を構築するとともに、鉄道人として鉄路を守る「仕事への誇り」・「使命感」を培うことができる安全研修施設を目指しているようです。
またJR北海道では、所得が少ない等の理由で若手社員が数年で退職してしまうケースが多くあります。実は当該事故後に入社した社員が4割を超えているという驚きの事実もあります。このペースでいけば近い将来、石勝線脱線火災事故を全く知らない社員が大半を占めると予想します。記憶を風化させないよう、こうした研修施設を用いて後世に伝え続けていくそうです。
石勝線列車脱線火災事故は、JR北海道が変わるきっかけになった最初の出来事として、忘れてはならない出来事です。事故発生から長い年月が経過しましたが、こうして度々取り上げることで、改めて考えさせられることはたくさんあります。昨今は新型コロナウィルスの影響で大きく利用が落ち込んでいますが、JR北海道は事故発生から9年もの間、何度も危機的状況を乗り越えてきました。今回のコロナウィルスに関しても、必ずや乗り越えてくれるものと期待しています。

10年前に脱線火災事故を起こしたキハ283系。一部は廃車・解体されましたが、現在も2001年の最終増備車を中心に残り、特急「おおぞら」として最後の活躍を続けています。
昨年度末にキハ261系1000番台が初めて釧路に配置されたことから、実質カウントダウンが始まったとみていいでしょう。北海道の鉄道の高速化に大きく貢献した反面、引退もほかの車両よりも比較的早めでした。
せっかくなので、近日中にキハ283系について再度お伝えしようと記事の掲載を計画しています。実はいまだに不明な点が多い車両で、さまざまな点で画期的な機能・機構が搭載されているにも関わらず、これ以降の特急気動車について、キハ283系のノウハウが投入された車両というのはほとんどないはずです。
なので、この大事故で見えたこともたくさんあったはずです。そのあたりを中心に話題を展開していく予定です。コメントにて、たくさん意見を交わしましょう。
↓ブログランキングにご協力お願いします↓

にほんブログ村

人気ブログランキング
もちろん、当ブログの開設前の大事故でした。今のJR北海道の元凶となった事故でもあります。


今でも「石勝線脱線火災事故」と検索すると、写真が出てきます。消火後の車両の姿を確認したときは唖然としたものです。一躍全国ニュースにもなりましたね。
5月27日21時55分頃に、特急「スーパーおおぞら14号」が石勝線の新夕張~占冠間の清風山信号場付近を走行中に脱線し、第1ニニウトンネル内に停止後、列車から火災が発生しました。
乗務員は避難誘導ができず、利用客自身でドアを開けて降車し、徒歩でトンネル内から脱出しました。この事故によって、利用客78名と乗務員1名が負傷しました。大事故にも関わらず、死者が出なかったのが不幸中の幸いでした。
原因として、JR北海道では次のように説明しています。
【車輪の表面が急ブレーキ等により部分的に摩耗し、円形形状が不整となったため、振動により4両目の減速機を支える吊りピンが脱落。これにより4両目の減速機と推進軸が脱落し後部台車2軸が脱落、脱落した減速機の「かさ歯車」が衝撃したことにより、6両目の燃料タンクが破損。漏れ出した経由が飛散し、発電機付近で出火したものと考えられます。】
この大事故をきっかけに、事故後の対策として、現地の判断を最優先とする「緊急時のお客様避難誘導マニュアル」の策定や、トンネル設備の改善、車輪踏面の徹底した管理、車両に避難はしごや懐中電灯を設置しています。
そのほか、さまざまな検査基準の見直しや、車両メンテナンスに必要な時間を十分に確保すべく、減速運転による車両への負荷軽減や、減便による予備車両確保に努めています。
また、避難誘導訓練も実施しており、教育や訓練の充実を図っています。詳細は以下をご覧ください。

この脱線火災事故こそ、昨今のJR北海道につながる初めの出来事でした。これ以降、車両トラブルが相次いだり、軌道検査データの改ざんなどの不祥事にも見舞われるようになります。これらの問題を1つ1つ解決していく一方で、次は経営そのものがひっ迫し、これまで後回しにされてきたローカル輸送を中心とした経営改善に踏み切ることになります。
事故後に廃止された路線は、江差線の木古内~江差間、留萌本線の留萌~増毛間、夕張支線の新夕張~夕張間、札沼線の北海道医療大学~新十津川間、日高本線の鵡川~様似間です。利用が僅少している旅客駅についても廃止が進められ、今年3月のダイヤ改正では、一気に18駅が廃止に。自治体に維持管理に移行する駅が18駅に上るなど、大幅な改善がみられました。後者については、実質JR北海道から戦力外通告を受けた駅といっても過言ではないので、整理された駅の数は36駅とみた方がよいでしょう。
そして、現在も続いている留萌本線の深川~留萌間の存廃問題。存続するのか、廃止になるのか不明ですが、この問題が解決すれば、長らく不通になっている根室本線の東鹿越~新得間(上落合信号場間)の存廃問題に直面するでしょう。
この石勝線の脱線火災事故をきっかけに、安全運行という重要な基盤とともに、緊急時において迅速に対応できるようになりました。そして、それが教育・訓練という形で若手へと受け継がれていきます。この効果はすぐに出るわけではありませんが、例えば、その教育・訓練を受けた若手社員が後々会社を引っ張っていく存在になった際、どんな状況下でも対応できるJR北海道になっている可能性だってあるのです。
事故が起きてよかったわけではありませんが、事故をきっかけにより良い方向へ向かっていることは事実です。この効果が出るまでまだまだ長い年月がかかりますが、後々大きく評価されることは言うまでもありません。


火災事故で焼失したキハ283系の6両編成は、車体を切断したうえで現地からトラックで運ばれました。一部車両は今も残されています。あくまでカットボディですが、JR函館本線の稲穂駅前に新たに設けられた社員研修センター内に「安全研修館」を設置しており、そこに教材用として展示されているようです。
一連の事故・事象・事業改善命令・監督命令を受けた会社の現状を振り返るとともに、安全についての考え方を理解し、安全意識及びコンプライアンス意識を醸成することを目的とした第Ⅱ期安全研修のために設置された施設です。
事故に関連する実物の展示をはじめ、大型グラフィック、事故当時の新聞記事、事故を経験した社員・関係者が語る体験談により、事故当時の状況、事故・事象の重大さについて身をもって体得してもらう施設となっています。
安全意識を継続して高め、安全風土を構築するとともに、鉄道人として鉄路を守る「仕事への誇り」・「使命感」を培うことができる安全研修施設を目指しているようです。
またJR北海道では、所得が少ない等の理由で若手社員が数年で退職してしまうケースが多くあります。実は当該事故後に入社した社員が4割を超えているという驚きの事実もあります。このペースでいけば近い将来、石勝線脱線火災事故を全く知らない社員が大半を占めると予想します。記憶を風化させないよう、こうした研修施設を用いて後世に伝え続けていくそうです。
石勝線列車脱線火災事故は、JR北海道が変わるきっかけになった最初の出来事として、忘れてはならない出来事です。事故発生から長い年月が経過しましたが、こうして度々取り上げることで、改めて考えさせられることはたくさんあります。昨今は新型コロナウィルスの影響で大きく利用が落ち込んでいますが、JR北海道は事故発生から9年もの間、何度も危機的状況を乗り越えてきました。今回のコロナウィルスに関しても、必ずや乗り越えてくれるものと期待しています。

10年前に脱線火災事故を起こしたキハ283系。一部は廃車・解体されましたが、現在も2001年の最終増備車を中心に残り、特急「おおぞら」として最後の活躍を続けています。
昨年度末にキハ261系1000番台が初めて釧路に配置されたことから、実質カウントダウンが始まったとみていいでしょう。北海道の鉄道の高速化に大きく貢献した反面、引退もほかの車両よりも比較的早めでした。
せっかくなので、近日中にキハ283系について再度お伝えしようと記事の掲載を計画しています。実はいまだに不明な点が多い車両で、さまざまな点で画期的な機能・機構が搭載されているにも関わらず、これ以降の特急気動車について、キハ283系のノウハウが投入された車両というのはほとんどないはずです。
なので、この大事故で見えたこともたくさんあったはずです。そのあたりを中心に話題を展開していく予定です。コメントにて、たくさん意見を交わしましょう。
↓ブログランキングにご協力お願いします↓

にほんブログ村

人気ブログランキング

- 関連記事
-
-
【コラム】北海道における鉄道車両の夜間滞泊 2021/06/21
-
【コラム】石勝線特急列車脱線火災事故から10年 2021/05/27
-
【コラム】北海道で今でこそ必要な特急列車の編成 2021/04/09
-