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北海道の鉄道の内容を中心に自身の知識も含めながらブログの記事を日々更新しています。札幌市在住のため、主に札幌圏を走行する列車についての話題です。

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道の駅「あびらD51ステーション」に展示されている「D51 320」号機

前回に引き続き、道の駅「あびらD51ステーション」の話題。

開業以来、ずっと紹介していなかった「D51 320」号機。道の駅のメインの1つですね。











この圧倒的な存在感。

D51形蒸気機関車は、1115両製造され、この320号機は1939年(昭和14年)に製造されました。新製配置場所は函館でその後、長万部、小樽築港、追分を経て、SL牽引による最終列車が走ったのが1975年(昭和50年)12月24日に最後の運転となり、その翌月の1976年(昭和51年)1月に廃車となりました。

その後、安平町鉄道資料館で保管され、道の駅開業に合わせてキハ183系とともに運び込まれました。

年に何回かは屋外でも展示され、その際はキハ183系スラントノーズ車と並ぶことで話題となっています。

このD51形の蒸気機関車が一番外装のバランスが良いというか、かっこいいですよね。「デゴイチ」の愛称で現在まで親しまれているのですから、例えばC11形でも子どもからしたら同じ「デゴイチ」なんですよね。

それぐらいザ・蒸気機関車という感じです。

普段は人が多く、機関車の写真を撮影するのも一苦労ですが、休日でも開館時間に合わせて訪問すれば、まだ人が少ないので、写真も撮影しやすいです。皆さんもこの大迫力のSLを見物しに、あびらD51ステーションに行ってみてください。

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11964: by 龍 on 2022/11/14 at 00:51:25 (コメント編集)

D51形は貨物用として設計・開発された機関車ですが、旅客列車も含めて日本各地で幅広く運用されました。製造両数の多さや製造年数の長さもあり、外見的な特徴だけでも3種類に大別されます。

初期に登場した95両は、煙突の後ろに給水加熱器がレールと平行する方向で搭載され、それらを長いキセ(覆い)で覆っているのが特徴でした。その見た目から「ナメクジ」と呼ばれるグループで、トップナンバーのD51 1(京都府京都市下京区の京都鉄道博物館)の他、北海道にもD51 6(旭川市の旧・神居古潭駅跡)、D51 11(札幌市西区の農試公園)などが静態保存されています。

その後、動輪の重量配分を改善するためのモデルチェンジが行われ、給水加熱器を煙突の前に枕木と平行する方向で搭載した姿になりました。これが現在まで最もよく知られる「デゴイチ」の標準的な外見です。動態保存されているD51 200(京都府京都市下京区のJR西日本梅小路運転区、京都鉄道博物館に併設)やD51 498(群馬県高崎市のJR東日本ぐんま車両センター)、北海道で静態保存されているD51 237(札幌市東区のJR北海道苗穂工場)、D51 320(勇払郡安平町の道の駅「あびらD51ステーション」)などもこの姿です。

そして、3つ目は戦時設計で登場したD51 1001以降のグループです。基本的には標準型と同じ外見ですが、金属の不足などでランボードや除煙板(デフレクター)を木材などで代用したり、ドームをいわゆるカマボコ形にしたり、ボイラーなどの重要接合部を従来のリベット2列からリベット1列に簡略化したりといった変更点があります。このグループは、北海道ではD51 1052(千歳市のキリンビール北海道千歳工場)が静態保存されています。

ただ、戦時設計型は戦時中は粗悪な部品の多用や溶接不良などもあって本来の性能を出せない・まともに動かない車両も多かったようです。これは戦時中に登場したD52形も同様で、酷いものでは従来より簡略化された戦時設計の規格すら満たしていない欠陥品の鋼板がボイラーの材料に使われていました。そんな状態で酷使された機関車にはボイラーに亀裂が入るなどの重大な不具合が相次ぎ、乗務員からは「爆弾を抱えて走れというのか」と酷評されました。戦争末期から戦後にかけて、走行中にボイラーが爆発して運転室ごと吹き飛び、乗務員が死傷する事故がD51形で1件、D52形で3件発生しています。終戦後は代用材を使用した部品を正規品へ、X線検査で状態不良と判定されたボイラーを新製してそれぞれ換装した上で使用され、ようやく設計通りの性能を発揮することができるようになりました。

この他、軍需輸送の消滅などによる貨物需要の激減で貨物用機関車が大量に余剰になる一方で、生活物資の買い出しや戦地からの復員などによる旅客需要の激増で旅客用機関車が大量に不足しており、資材不足も相まって機関車の「新製」が困難という事情から、D51形・D52形の余剰車のボイラーを流用したC61形・C62形が書類上は「既存車の改造」という形で実質新製されました。なお、C61形・C62形は当初戦時設計のボイラーを流用していたことから、後に早期廃車機を除いて正規品のボイラーに換装しており、北海道へやってきたC62形もボイラーをD52形の流用品から正規品に換装した上で転用しています。

ちなみに、D51 320は元々保存予定ではなく、廃車後に解体される予定でしたが、1976年4月13日に追分機関区で発生した火災により4両(241・465・603・1086)が焼失してしまったため、D51 241の代わりに急遽、静態保存機に選ばれ現在に至ります。D51 603は全焼を免れ、「ジオラマ・京都・JAPAN」(京都府京都市右京区、JR山陰本線の嵯峨嵐山駅と嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線のトロッコ嵯峨駅に隣接)にカットモデルとして前頭部のみ保存されています。

11967: by 管理人 on 2022/11/14 at 21:40:41

>>龍さん、コメントありがとうございます。

詳しい情報ありがとうございます。D51については、自身でも少し調べて大きく分けて3種類あること、その中でもナメクジ型についても少し調べました。

ですが、その歴史については触れられているサイトが少なく、例えば戦時中において製造された機体について、いわゆる設計不良によって犠牲者も出ているということは知りませんでしたし、C61形やC62形とD51形がそのような関わりがあったことも知りませんでした。

今回いただいたコメントの内容は興味深く、コメントを参考に今一度調べてみたいと思います。ありがとうございます。

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